もう一つのラヴ・ディアス作品『マニャニータ』。『痛ましき謎への子守唄』でプロデューサーを務めたポール・ソリアーノがメガホンを取り、ディアスと脚本を練り上げた本作は、『停止』と同様にフィリピンの抱える問題を、一人の女性の魂の旅と重ねポジティヴに描いた詩的作品です。

 

軍隊を除籍となった凄腕スナイパーの女性兵士。顔半分をおおうケロイドと共に人には言えない過去を抱える彼女は、他人を避け、独り酒場に入り浸っては酔いつぶれる日々を送っていた。ある日かかってきた一本の電話が、彼女に人生の新たな目的を与え、同時に目を背けてきた過去と向き合わせることになる。

 

タイトルの“マニャニータ”とは、誕生日などお祝いの席に歌われるメキシコの歌のこと。劇中では、フィリピンの伝統的なものを中心に幾つもの歌が象徴的に使われます。街角で歌う盲目のミュージシャン、標的に狙いを定める主人公の頭の中に流れてやまない歌、主人公を過去の悪夢に引き戻す歌。ソリアーノ監督曰く、選定に苦労したという曲はどれも、メロディはもちろん、その歌詞も主人公の心情を映す鏡のように映像と響き合います。中にはラヴ・ディアス自身がソリアーノ監督に請われ、即興で作曲をして歌ったものも。それらの調べは、ややもすると冗長に感じられてしまいそうな長回しの風景を情感のこもった空間に変え、観る者を引きつけてやみません。小津監督の名前を引き合いに出したソリアーノ監督の言葉どおり、時間を贅沢に使ったトランセンデンタルな味わいの深さを感じさせてくれます。

 

なぜ歌を多用したのか――そこには、ドゥテルテ大統領のもと超法規的殺人も認める強硬な麻薬撲滅対策の影響があります。とりわけドゥテルテ大統領の故郷でもあるダバオ市では、「ダバオ・デス・スクワッド」と呼ばれる自警団が独自に麻薬関係の犯罪者を私刑に処すという事態が生じ、国際社会からも人権状況を懸念する声が上がっていました。大統領命令は絶対。しかし、殺せばそれで解決することなのか。疑問を持った一人の警察署長の発案で、麻薬犯罪者の居宅や隠れ家を取り囲んだ警官たちが、歌を歌って自主的な投降を促す試みが行われました。一見、荒唐無稽なこの作戦ですが、次第に効果を上げ、警官の歌に涙を流しながら自首してくる者たちもいるといいます。記者会見の席で言及されたこのエピソードは、物語を支えるひとつの要素であり、頭の片隅に置いて迎える結末はまた感慨もひとしおです。

 

撮影は、脚本の進行に従って行われたとのことで、トラウマを抱えた難しい役柄にも自然となじんでいけたという主演のベラ・パディーリャさん。演技については、監督の出す事細かく明確な指示で演じるところと、自分で考えて動くところのバランスが丁度よかったといいます。共同脚本として名を連ねるラヴ・ディアスといえば、撮影の直前にならないと脚本ができあがらないことで有名ですが、本作ではどうだったのでしょうか。ソリアーノ監督によれば、コンセプトやアイデアを話し合い、「あとは任せた」と送られたきたのがわずか8ページの脚本。「私が受け取ったなかで最も短い脚本」とベラさんも笑う短さですが、ディアスとソリアーノ監督の間でしっかりとコンセンサスの取れた産物であることは、重厚で壮大な物語に表れています。

 

ある意味でディアス監督の『停止』と表裏をなす『マニャニータ』。東京国際映画祭での上映はあと2回、10/31(監督登壇のQ&A付)と11/5です。詳しくは東京国際映画祭公式サイトでご確認ください。

【作品情報】

マニャニータ(原題:Mañanita)

フィリピン/フィリピン語/143分

監督:ポール・ソリアーノ

脚本:ラヴ・ディアス、ポール・ソリアーノ

出演:ベラ・パディーリャ、ロニー・ラザロほか

小島ともみ
80%ぐらいが映画で、10%はミステリ小説、あとの10%はUKロックでできています。ホラー・スプラッター・スラッシャー映画大好きですが、お化け屋敷は入れません。