ー 豊かさとはなんだろうか。

この映画を見て最初に浮かんだのは、そんな言葉だった。『苦い銭』は、ドキュメンタリー映画の名匠ワン・ビン監督が、衣料品工場で働く中国の出稼ぎ労働者を描いた作品である。この映画に登場する労働者は、みな携帯やスマートフォンをもっているし、いつも清潔感のある服を着て、見た目も整えている。一見、不自由のなさそうに見える彼らだが、日々12時間以上働き、一元(約17円)に一喜一憂する生活を送っている。

中国では、1978年以降の市場経済導入などの経済開放政策により、めざましいスピードで近代化がすすんだ。人々の生活は、共産主義下の農村社会が中心だった頃に比べれば、豊かになったのだろう。しかし、実際のところ、「世界の工場」と呼ばれるほど発展した中国経済は、その急速な変化についていけない人々を置き去りにしている。しかし、戸惑いの中で身動きがとれない彼らも、そのシステムから逃げるすべはなく、取り込まれていく。

リンリンは、暴力をふるう夫、アルヅのいる家を出て、工場で働く25歳だ。アルヅは、なぜ怒っているのか理由を教えてはくれない。彼は、とにかくイライラしている。リンリンは子供に会うためにせめてバス代が欲しいというが、アルヅは頑としてお金を渡してはくれない。何がきっかけで彼らの喧嘩が始まったのか、私たちには知るよしもないが、一つだけ確かなのは、「金」が関わっているということだ。少しでも生活が良くなるようにと、大志を抱いて自分の店を開いたアルヅ。しかし、いくら働いてもわずかな賃金しか手に入らないこの街で、商売は上手くいかない。そうした「金」にまつわるストレスフルな環境が、彼らの仲に影響したであろうことは想像できる。身綺麗なリンリンの持つ、「Dior」のバッグが切ない。

この映画では、携帯電話が感情的なつながりを象徴するものとして何度も登場する。出稼ぎ労働者たちにとって、故郷にいる家族や友人とつながれる携帯電話は、労働の日々の中で安らぎをもたらす大切なものだろう。それは、彼らの多くが最新のスマートフォンを持っていることからもうかがえる。しかし、中には、毎月の携帯電話代すら支払うことがままならない者もいる。人々のつながりすらも「物」に集約され、「金」に左右されてしまうのだ。これは、きっと10数年前には想像さえできなかったことだろう。

ワン・ビン監督は、「中国社会では、現代ほど『金』が重要な時代は、これまでに存在しませんでした」という*1。経済開放政策は、人々に故郷で農業に従事する以外の「金を稼ぐ自由」を与えたが*2、それは同時に「金を稼がなくてはならない」という新たな不自由さをも与えてしまったのではないか。「金さえあれば」という価値観が理想を抱かせれば抱かせるほど、うだつが上がらない現実との乖離が広がっていく。そんな苦しみの中で生きることを強制する社会で、人々は彷徨うことしかできない。

このようなテーマを扱いながら、決して政治的、批判的な印象を残さないのは、ワン・ビン監督の手腕だろう。非干渉的なカメラワークで淡々と状況を見せているかに見えて、モンタージュに監督の思いをしのばせる手法は、決して観客に主張を押しつけるのではなく、解釈の余地を与えてくれる。ドキュメンタリーである本作がヴェネチア国際映画祭で脚本賞を獲ったのは、こうした監督の熟練の技によるところだろう。また、計算された劇映画のように、構図、音まで完璧な美しい映像、そしてドラマチックなカメラワークは、決して観客を飽きさせない。

映画の最後、リンリンは何かを探して、工場の服の山に手を伸ばす。彼女は、何を探しているのだろうか?そんな疑問は、自分に返ってくる。私は、何を探しているのだろうか?迷いの中にあっても、何事も決して諦めず、真っ向から現実に立ち向かっていくリンリンの姿は、とてもたくましい。同じ時代を生きる、多くの人に届いてほしい作品だ。

『苦い銭』(2016年)(フランス・香港合作)

2月3日より シアター・イメージフォーラム他、順次全国ロードショー。

予告編

https://www.youtube.com/watch?time_continue=26&v=14kydf7WYCA

シアター・イメージフォーラムHP

http://www.imageforum.co.jp/theatre/

『苦い銭』オフィシャルサイト

http://www.moviola.jp/nigai-zeni/index.html

*1 『苦い銭』オフィシャルサイト

http://www.moviola.jp/nigai-zeni/director/index.html

*2 web DICE『苦い銭』ワン・ビン監督インタビューより

http://www.webdice.jp/dice/detail/5563/

北島さつき

World News&制作部。

大学卒業後、英国の大学院でFilm Studies修了。現在はアート系の映像作品に関わりながら、映画・映像の可能性を模索中。映画はロマン。