『心と体と』は、ハンガリーのイルディコー・エニェディ監督による、1999年『Simon, the Magician』以来18年ぶりの長編映画です。彼女は1989年のデビュー作『私の20世紀』でカンヌ国際映画祭カメラドールを受賞していますが、この作品でも2017年ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞し、今年の米アカデミー賞でも外国語映画賞にノミネートされています。ここでは1月31日にアテネ・フランセ文化センターで行われた『心と体と』日本最速上映&映画美学校マスタークラスについて、本作のレビューと共に紹介します。


『心と体と』日本最速上映
 1月31日(水)平日の夕方にもかかわらずアテネ・フランセは満席!それもそのはず、ハンガリーのエニェディ・イルディコー監督待望の新作『心と体と』の日本最速上映、言ってみればジャパンプレミアである。映画美学校の生徒を中心に若い観客も集まり、会場は期待と熱気に溢れていた。

 ブダペスト郊外の食肉処理場で働く片手が不自由な中年の男エンドレ。日々淡々と業務をこなし同僚からも信頼はされているが、どこかで距離を取っている。職場以外ではいつも一人で、残りの人生に期待しているものはない。そのエンドレがいる食肉処理場に、ある日代理職員として若い女性がやってきた。彼女の名はマーリア。他人とコミュニケーションを取るのが極端に苦手、さらに生真面目で融通が利かず職場に全く馴染めない。
 そんな二人が、ある事件をきっかけにして同じ夢を共有しているということを知る。二人は森の中で、エンドレは雄鹿、マーリアは雌鹿として出会っていたのだ。共通の夢によって急接近するのだが、不器用すぎる二人はすれ違ってばかり。

 物語は淡々と進んでいくように見えるが、これまでのエニェディ監督の作品に比べて主人公との距離が近く、寄り添うように描かれる二人を応援せずにはいられない。他人とどう接していいかわからないマーリアがエンドレに近付こうともがく様子は可愛らしくもおかしくもあるのだが、本人にとっては生死をかけた一大事でこちらが思っているよりも繊細で傷付きやすい。エンドレにたった一言話しかけるだけでも大きな勇気のいることなのだ。人生を諦めているエンドレも、新たな変化を受け入れる勇気がなかなか持てず、行動に移せない。夢の中では思うままでいられるのに、現実では空回りしてしまう二人がもどかしい。

 ハンガリーの撮影監督マーテー・ヘルバイによる撮影が素晴らしく、神秘的でありつつも現実のようにはっきりと映される鹿と、唐突に現れる牛の屠殺場面が印象的だ。時に寄り添い、時に一歩引いてエンドレとマーリアを映し出す。

 また、音楽も重要な役割を担っている。『Simon, the Magician』(1999)でのベートーヴェンの使い方も衝撃ではあったが、今回はよりストレートに音楽が響く。イギリスのシンガーソングライター、ローラ・マーリングが歌う「What He Wrote」は自分の思いを言葉にすることができないマーリアの心を代弁するようで、何度涙が溢れたことか。

 私事で恐縮だが、どちらかというと社交的で人付き合いも上手い方、周りからもそう見られているであろう自分自身を考えた時、それはマーリアが抱えているものとは比較にならないかもしれない。しかし自分の殻を破って、つまり慣れ親しんだ安全地帯から出て裸の自分を晒すことの難しさには痛いほど直面している。誰だって慣れている場所にいた方がラクなんだ。しかし、そのリスクを冒してこそ出会えるものがある、その喜びがあるということをそっと教えてくれる、優しく愛おしい映画が、『心と体と』であった。この、胸にじわじわと広がる、熱い熱い思いはなんだろう!

映画美学校マスタークラス
 『心と体と』上映後には、エニェディ監督と、現在『勝手にふるえてろ』が公開中の大九明子監督を講師に迎え、東京国際映画祭プログラミング・ディレクターの矢田部吉彦氏の司会でマスタークラスが行われた。
 エニェディ監督は初めに、このマスタークラスに映画を学んでいる学生がどれくらい参加しているのか挙手を取り、「二人の映画監督がおりますので、私たちにも何か伝えられることがあると思います。」と、ブダペスト演劇映画大学でも教鞭をとっているエニェディ監督ならではの気遣いが感じられる挨拶だ。

 まず、『心と体と』が18年ぶりの新作ということについて、どうして18年も空いてしまったのか、18年間どのように過ごしていたのかという質問には「お金がなかったので作品が撮れなかったのです。18年の間に脚本を5本書きましたが、もう少しで撮影に至るというところでいろいろな理由から撮影できませんでした。その間にHBOのヨーロッパで作品(ドラマ)を撮ったりしました。それから教師をやっていまして、これがとても楽しくて中毒のようになってしまいとても危険な状態です。」と映画学校で演出を教えいているエニェディ監督は明かした。

 『心と体と』のヒロイン、マーリアと、『勝手にふるえてろ』のヒロイン、ヨシカ。二人ともコミュニケーションが苦手なことについて大九監督は「すごく共通点を感じました。一言でいうと“生き下手”な人間をいつも描きたいと心掛けています。その際に難しいのが心象風景を描くこと。どうしても言葉で表現させなければいけない。モノローグで語らせることもできますがそれを避けるために、いろいろな人と話してみようという主人公を描きました。『心と体と』の中で主人公が部屋の中で人形に会話をさせているところは、本当にチャーミングだしきちんと主人公の気持ちも伝わってくるし、エニェディ監督ならではの素敵な発明だと思って感動しました。」と二人のヒロインの共通点を語った。これに対してエニェディ監督は「表面と中身というものが人間誰しもありますが、中身というのは少ししか表に表すことができません。それは誰しもが持っている人間共通の問題ではないかと思います。」と自身の考えを話した。

 また、『心と体と』のキャスティングに話が及ぶと、まず鹿について「主演の二人にとても似ていると選んだ鹿でしたが野生の鹿なので人間に慣れておらず、アニマルコーディネーターに数か月かけてトレーニングをしてもらい、まずアニマルコーディネータに、次に我々スタッフに慣れさせて最終的に近くで撮影できるまでになりました。」と苦労を語った。
 主演二人のうちエンドレ役のゲーザ・モルチャーニは編集者であり脚本家でもあるがプロの俳優ではない。非職業俳優と仕事をする上での注意点について聞くと、「俳優の学校では心を開く作業をさせますが、それを上手く閉じさせることは教えていない様に思えるのでとても危険なことです。私はそれを閉じさせる作業をするようにしています。アマチュアの俳優のとても危険な部分は、撮影が終わった後も心を開けたままの状態になってしまうこと。私を含めスタッフもみんなその状態にならないように気を付けています。」と独自の撮影方法を教えてくれた。また、マーリア役の方はというと、アレクサンドラ・ボルベーイに決まるまでに5か月かかったという。

 キャスティングは小道具にまで至り、美術担当は塩と胡椒の瓶までキャスティングを行ったそうで、12個の瓶の内のどれにするか、情熱をかけてディテールを話し合ったと撮影中の楽しい思い出を語ってくれた。

 観客からの質問で映画作りへと突き動かす根底、パッションについて聞かれると、「ものを作りたいが何を作りたいのだろうと右往左往した挙句、やっと映画という手段を得た。最初の5、6年は楽しいというより必死で、作っていないと不安で仕様がなかった。この5年くらいでようやく作ることが楽しいし、その作るものは映画以外では有り得ない。とやっと思うようになりました。」と大九監督。エニェディ監督は「私にとって映画というのが一番効率の良い、そして唯一のコミュニケーションの方法だと思っているのです。映画を通していろいろ人々と語ったり、シェアしたい。私はマーリアと同じように人とコミュニケーションを取るのが苦手なのです。今回こうしてみなさんから映画のフィードバックを頂いたり感想を頂いたりというのが嬉しく、私にとっての喜びです。」と答える。次回作について、“木”が主役で、タイトルは『Silent Friend』と明かしてくれたエニェディ監督、きっと木のキャスティングにも拘りを見せるのだろう。

 伝えたいことははっきりと明確に伝えようとする、しかし穏やかで温かな語り口。まるでこの映画のように優しさに溢れたエニェディ監督だった。

『心と体と』
(2017年 / ハンガリー / 116分)
原題:Teströl és lélekröl
英題:On Body and Soul
監督・脚本:イルディコー・エニェディ
出演:アレクサンドラ・ボルベーイ、ゲーザ・モルチャーニ
公式サイト

4月14日(土)より、新宿シネマカリテ、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開予定。

※ハンガリー人名は通常、姓・名の順で表記されますが、ここでは国際表記と日本公式サイトに合わせて名・姓の順で「イルディコー・エニェディ監督」と表記しました。

  

鈴木里実
映画に対しては貪欲な雑食です。古今東西ジャンルを問わず何でも見たいですが、旧作邦画とアメリカ映画の比重が大きいのは自覚しています。