映画館で映画を観ているとき、私たちはいつも座っていて、スクリーンに投影された映像を見つめている。映された映像の中で起きる出来事をただ眺めているようで、それは受動的なことのように思われがちだが、この映画の冒頭に現れる「途中で主人公がメガネをかけたら、皆さんもメガネをかけてください」というテロップは、映画を楽しむために私たちに行動を促す。まるでこの映画が、スクリーンを通り越して、私たちに身体的な感覚を思い起こさせる存在であることを予言するように。

60分に及ぶワンシークエンス・ショットを3Dで展開し、2018年のカンヌ国際映画祭での上映以来大きな話題となっているほか、第19回東京フィルメックスでも上映された『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』がついに公開された。
昨年来日したビー・ガン監督へのインタビューも交えながら、この映画について綴っていきたい。

映画の舞台は中国南西部、貴州省に位置する凱里。ビー・ガン監督の故郷でもあり、監督の名が一躍知られることとなった長編デビュー作『凱里ブルース』(2015年)もこの地で撮影された。凱里という場所で映画を作ることについて彼は「私は凱里という場所で生まれ育って、その土地に慣れ親しんでいるので、むしろ凱里で撮らない理由がなく、それがもう習慣なのかもしれません。」と語っている。(映画の大きな特色であるワンシークエンス・ショット、60分間の長回しを取り入れた理由も「まずその場所があって、そこを最も魅力的に撮るには長回しで一時間撮る、というのが最も相応しいと思ったから」だという。)

ルオ(ホアン・ジエ)は父の死をきっかけに、長年離れていた故郷である凱里へ戻ってきた。そこで彼は記憶を思い起こす。それはやくざの諍いに巻き込まれ死んだ友人のことであったり、彼にとって忘れるべくもない、緑色のドレスを纏い、ワン・チーウェンという有名女優の名前を名乗る女性(タン・ウェイ)の存在であったりする。彼女を探すルオは、日が暮れるのを待つ間、映画館に入り、座席に座るとメガネをかける。
そこで観客も3Dメガネをかけると、スクリーンにはこの映画のタイトルが現れる。今まで観ていたのが長いアバンタイトルで、ここからがこの映画の本当の始まりであるかのように。60分のワンシークエンス・ショットが始まる。

映画の構成をワンシークエンス・ショットの前と後、前半と後半とで区切ってしまうなら、二つはまるで合わせ鏡のように呼応して、前半と同じキャストが後半では違う役柄で登場する。日常接している人が、眠っている時になんの脈絡もなく夢にでてくることを思い出させられ、誰かの夢を一緒に観ているかのような気持ちになる。
映画の内容を、過去の記憶を思い返し、忘れえぬ女性の存在を探してさまよう男のみる夢だと言い表すなら、これはまさしく記憶を回想することついての映画なのだろうが、ビー・ガンによると「記憶を思い起こすということは、ある種受動的に見えますが、それは自分が能動的に思い起こさないと記憶を追憶することはできませんよね」。
ある意味で受動的に映画を観ている観客に、ルオと同じく自らもメガネをかけるよう能動的な行動を促す冒頭のテロップは、「観客にもっと映画に親しみ楽しんでほしいという要素であり、受動的から能動的にということが、楽しんでもらうための仕掛け」であるという。

ビー・ガン監督

主人公ルオは映画を観に行ったことを回想しながら「映画と記憶の最大の違いは、映画は必ず虚構でシーンを繋いで作っているが、記憶は真偽が曖昧で不意に眼前に浮かぶ点だ」と語る。記憶をモチーフにワンシークエンスで物語を紡いでいくというこの作品の美学を言い表しているかのようにも思えるが、ビー・ガン曰く「このメッセージ性というのは、映画を最も知らない人たちに対してこういったことを言えば、基本的な知識として、映画とはどういうものなのかということを知るための手がかりになると同時に、この主人公のキャラクターが発するにおかしくない、ここまでなら言える、という言葉なんです」。
映画には魅力的なフレーズが溢れているが、それだけに囚われてはいけない。
詩人としても活動しているビー・ガンは「詩は抽象的で、映画はもっと具象的だと思います。抽象的なものを、具象的でもっと具体的なものである映像で表現することもできるし、その二つは相互に補完しあう関係にある」と詩と映像の関係を語る。

確かにこの映画をただじっと見てみれば、本来映画そのものにはないはずの温度や湿度、匂いや味などの、視覚だけでない五感の感覚を思い起こさせられる。
夏に降る雨や濡れた髪の湿度、齧ったリンゴの瑞々しさや、まだ聞こえていない、落ちていくガラスが割れたときに発するであろう音。初めて観る映画なのに、思い起こさせるこの感覚は確かに自分も知っているような気がする。過去の記憶を回想するということは、もしかしたら身体的な感覚を伴うことだったのか。
3Dについて「まさしく夢のような浮遊感と、夢心地のような効果をもたらしたいが故に取り入れた」というが、座って映画を観ているはずなのに、映画の展開を占める重要なキーワードでもある“回転”がもたらす浮遊感すら感じてしまう。

主人公が映画館に入り夢や記憶をめぐる旅に出るという映画の構成について、ビー・ガンは「それによって、映画がよりチャーミングになると思ったから」だと言う。想像するに大変そうなワンシークエンスの撮影の苦労について尋ねても「撮影の過程は楽しかったです。映画を撮れるというのは、楽しいことで、幸せなことですよね。なので、映画の過程で自分が解決しなければならなかった困難というのは口に出すまでもありません」と。
監督の受け答えは簡潔で、確かにこの映画には言葉を連ねて分析し、そこに潜むだろう作り手の野心を言い表すのではなく、ただ身を委ねたくなってしまうような圧倒的な没入感がある。
ワンシークエンス・ショットの行き着く先は、時間を操る魔法のようにあまりに見事で、瞼に浮かべて何度も思い返したくなる。この映画は、誰かのみる夢を一緒に見せてずっと近くに感じるために、細かく完璧に作りこまれた美しい装置のようで、本当にどきどきさせられる。

『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』
監督・脚本:ビー・ガン
出演:タン・ウェイ、ホアン・ジエ、シルヴィア・チャン、チェン・ヨンゾン、リー・ホンチー

原題:地球最后的夜晩/Long Day’s Journey Into Night
2018年/中国・フランス合作映画/138分/パート3D作品/日本語字幕翻訳:渋谷裕子
配給:リアリーライクフィルムズ+ドリームキッド
提供:basil+ドリームキッド+miramiru+リアリーライクフィルムズ
公式サイト

©️2018 Dangmai Films Co., LTD, Zhejiang Huace Film & TV Co., LTD –
Wild Bunch / ReallyLikeFilms

2020年2月28日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿ピカデリーほか全国縦断ロードショー中。
なお、ビー・ガン監督の長編第一作『凱里ブルース』は、4月18日(土)よりシアター・イメージフォーラムほかにて全国順次ロードショーされる。

吉田晴妃
四国生まれ東京育ち。大学は卒業したけれど英語と映画は勉強中。映画を観ているときの、未知の場所に行ったような感じが好きです。