映画はキム・ミニ演じる女優のヨンヒの後ろ姿から始まる。どうやら外国であるらしいことはわかるのだが、カメラは禁欲的に、あるいは偏執的に人物たちの会話だけを映し、そのスタイルは第2部で舞台が韓国に移ろうが全く変化しない。幾度かのズームおよび緩やかなパンを除けば全編はほぼミディアムショットで構成されているといってよく、背景となるもの、つまり映画における舞台などは全く重視されていないように思える。では何が、この作品において重視されているのだろうか?作品を通して繰り返されるのはまさにこの問いである、「一体何が真実なのか?」。

56歳になるホン・サンスが、36歳というもはや若くはないキム・ミニに幾度も語らせるのは意外にも「老い」や「死」に関してである。「きれいに死にたい」というヨンヒは不倫関係にある映画監督の恋人からの迎えが来ずともジタバタせず、同じく若くはない様々な人々とユーモアを交えて会話する姿はまさしく「魅力的である」と言わざるを得ない。たまには酔った勢いで感情的になり、友人たちに本音をぶちまけてしまうこともあり、祈りを捧げながら、タバコを吸いながら、歌を歌いながら1人になることもある。たしかにそれらは全て「魅力的である」。

しかしこの作品の魅力を全てキム・ミニに帰するのは性急だろう。序盤から無国籍的であった映画の空間は後半にかけてさらに抽象度を増し、「夜の浜辺でひとり」横たわるヨンヒを不倫関係にあった映画監督の元へ連れて行く。「個人的な話は退屈ですよ」という、ホン・サンスの映画を見てきた私たちには自虐的にしか思えないキム・ミニのセリフに応えて、その監督は「あくまでそれをどう撮るかが、それをどのように映画にするかが大事である」と言う。「前もって脚本など作らず、初めに1カットを撮りあとは流れに任せるのだ」と。


この作品の記者会見において、ホン・サンスとキム・ミニは不倫関係を公式に認めた。かつて批評家ゴダールはジャン・ルーシュを論じる際、「最も優れた劇映画は極めてドキュメンタリー的であり、最も優れたドキュメンタリー映画は極めて劇的である」といった旨の発言をしたが、ここで述べられた映画の両義性ははまさしくこの作品に当てはまるものである。すなわち個人的なことこそが普遍性を持ち、真実として人の心を打つ。ラストショットにおけるキム・ミニの後ろ姿はたしかにフィクションであるが、そして同時に真実を求めるドキュメンタリーなのである。

『夜の浜辺でひとり』(2017/韓国/101分)
6月16日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷他全国順次ロードショー。
http://crest-inter.co.jp/yorunohamabe/

またホン・サンス×キム・ミニの作品が『夜の浜辺でひとり』を含めて全部で4本公開される。それぞれ
『それから』6月9日(土)より
『正しい日 間違えた日』6月30日(土)より
『クレアのカメラ』7月14日(土)より
ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷他全国順次ロードショーである。詳しくは各公式ホームページ等を参照。
http://crest-inter.co.jp/sorekara/
http://crest-inter.co.jp/tadashiihi/
http://crest-inter.co.jp/sorekara/crea/

嵐大樹
World News担当。東京大学文学部言語文化学科フランス文学専修3年。好きな映画はロメール、ユスターシュ、最近だと濱口竜介など。