ジョン・カーペンターと聞いてまず思い浮かぶのは、出世作でもあり間もなくアメリカでリメイクも公開される『ハロウィン』や今まさにリバイバル上映中の『ゼイリブ』、今週末からリマスター版も公開される根強い人気の『遊星からの物体X』、スネーク・プリスキンの活躍でもお馴染みの『ニューヨーク1997』『エスケープ・フロム・L.A.』といった作品が多いだろう。『クリスティーン』という作品名にピンと来ない方は多いかもしれない。見過ごされがちな『クリスティーン』ではあるが、しかし個人的にどうしても思い入れを持ってしまうのは、夜の闇に炎を背負いながら追いかけてくる1台の車、そして、へこんだ車体がみるみる膨らみ元の形状に戻る、それらの異様な、しかしぞくぞくするほどに美しい光景を見た時の衝撃が焼き付いて離れないからだろう。

1978年カリフォルニア、アーニー・カニンガムはいじめられっ子を絵に描いたような高校生で家でも学校でも抑圧されたいわば負け犬だった。そんな彼が帰宅途中に見つけたのが、長年放置されていたであろうボロボロの58年型プリマス・フューリーという車。以前の持ち主であるルベイから“クリスティーン”と名付けられていた廃車寸前のこの車を、ただ一人の親友デニスの心配をよそにためらいもなく購入してしまう。もちろん両親からは反対されて自宅に駐車することもできず、自動車整備工場の一画を借りてクリスティーンを修理することになるのだが、この日を境に徐々に変化していくアーニー。彼はその車を“彼女”と、まるで女性と接するように呼び、親友デニスとの仲も疎遠になっていく。そしてクリスティーンを見事に修復し真っ赤な輝きを蘇らせた彼もまた、見た目から人格までもが別人のように変貌を遂げる。実はこのクリスティーンは狂気に満ちた意思を持つ恐ろしい車だったのだ。

スティーヴン・キングの同名小説を元にしたこの映画版『クリスティーン』はしかし、上下巻からなる原作の枠組みだけを活かしながらも内容はかけ離れたものとなった。原作での“以前の持ち主ルベイの怨念が取り憑いたクリスティーン”という設定をまるごとカットし、自動車工場で製造された時から恐ろしい人格を持つ車として描かれた。原作が活字になる以前から制作が始まっていたこの映画には周囲の期待も高かったことと思うが、この大きな変更に原作ファンは多少なりとも驚きや失望を持ったかもしれない。映画版は一見、あまりにも薄味であるかのように見えるのだ。同じく恐ろしい車を題材にしたスティーヴン・スピルバーグ『激突!』(1971 / Duel)ほどの緊張感はないし、原作小説の持つ深みもない。キング自身この映画化には不満を抱いていたのか、『クリスティーン』公開の2年後には自らが監督として暴走する車を主人公にした映画まで撮ってしまう。(キングの初めてにして唯一の監督作『地獄のデビルトラック』(1984 / Maximum Overdrive))。

しかし、ルベイの怨念を排除して自らの意志で動くクリスティーンを強調した本作は、よりストレートなアーニーとクリスティーンの愛の物語と言えるのではないか。アーニーがなぜ廃車寸前であったクリスティーンに惹かれたのかをデニスに聞かれた際には、映画は原作にはない独自の解釈を与えている。“初めて自分より不細工なものを見たから”と。アーニーは負け犬の烙印を押されている自分自身と、ボロボロのクリスティーンとを重ね合わせていたのかもしれない。そして、そんな彼女を自分の手できれいにしてやると宣言する。それはまたクリスティーンと自分が秘めている可能性でもあるのだ。クリスティーンにしても、アーニーは長い間手入れもされなかった自分をようやく見つけてくれた男。手放さんと彼を支配していき、他の女には嫉妬し、そしてより美しくあろうとする彼女の気持ちも理解できる。
アーニーをいじめている不良軍団から自身の車体からエンジンまでを滅茶苦茶に破壊された際には、プリマス・フューリーの由来であるローマ神話の復讐の女神“フリアイ”(英名:フューリー)の名そのままに彼らに復讐を遂げていく。初めに述べた、炎を背負いながら追いかけてくる車とはこのことで、車内が全く見えないクリスティーンが燃えながら近づいてくるその様はまさに復讐の権化。
不良軍団の別の一人を狙う場面では、クリスティーンは自分の車体の幅よりも狭い路地に相手を追い詰め、両脇を無残に削りながらも近寄って殺してしまう。自分を傷付けてまで対象を抹殺しようとするクリスティーンのキャラクターが明確に提示された場面だ。

また、本作の劇伴は他の監督作の多くもそうであるようにカーペンター本人が手掛けているが、所々でクリスティーンの車内から聞こえてくる曲は彼女が生まれた50年代のオールディーズばかり。時に真っ直ぐにアーニーへの愛を歌い、時に挑発するように自分の思いを曲に乗せていくクリスティーン。アーニーの死を見守った際には、クリスティーンのラジオから流れるのは「Pledging My Love」である。この曲は彼女がまだ路上を走れる状態ではなかった頃、アーニーが懸命に修理している最中にふと手を休め運転席に腰を下ろし彼女のハンドルに寄りかかる、彼らの中が親密になっていくことがわかるシーンでもかかっていた言わばふたりの思い出の曲。“あなただけをずっと愛する”と歌うクリスティーンの、狂気を伴いながらも一途な思いがいやと言うほど伝わるシーンではないか。

『クリスティーン』ほどに官能的なカーペンター作品というのも稀だ。ジョン・カーペンターという監督は人間の男女の駆け引きや濡れ場といったシーンをことごとく排除する、ないしは苦手なのではないかと思うことがしばしばあり、『クリスティーン』の翌年公開である珍しくラブストーリーを描いた『スターマン/愛・宇宙はるかに』でさえ『クリスティーン』ほどの表現は見られなかった。直接的な描写はないにしても性的な象徴に溢れている。特に破壊された車体をクリスティーンが自己修復するシーンでアーニーが彼女に対して発する言葉は印象的だ。 クリスティーンのヘッドライトに照らされたアーニーは彼女にただ“Show me! ”と言い、それだけでクリスティーンのへこんだ体はまた元に戻っていく。ここでは水圧で制御する機械を使用し車を破壊するショットを撮影、それを逆回しにするという何度見ても気持ちのいいシーンだが、人間の男と一台の車とが目に見える形で心を通わせている場面とも言える。

ある時は自分を傷付け、ある時は自己修復し、そして爆発現場から現れては火だるまで走行してしまうクリスティーンだが、そんな彼女を撮るために全米から20台以上のプリマス・フューリーを集めた本作。メインキャストには有名な俳優を起用せず、その予算の大部分をプリマス・フューリーの為に充てたというが、ブライアン・デ・パルマ監督の『殺しのドレス』(1980 / Dressed to Kill)における機械オタクの少年としてもアーニーに通じる役を好演していたキース・ゴードンは、黒縁眼鏡で冴えない少年から狂気を孕んだ男という180度の転換を見せてくれる。

かつてインタビューで本作へはなんの思い入れもないと語ったこともあるカーペンターだが、昨年には自身が手掛けた映画音楽の新録版アルバム「Anthology: Movie Themes 1974-1998」に収められた『クリスティーン』のテーマ曲の為に新たにミュージックビデオを制作、自ら出演もする熱の入れぶりである。このMVでのある場面、クリスティーンのドアが開き、この世のものとは思えない佇まいで現れるカーペンターの演じるドライバーが、映画ではカットされたクリスティーンに取り憑くルベイの怨霊に見えてしまうのは私だけだろうか。クリスティーンに魅せられていたのはアーニーだけではなかったようだ。

『クリスティーン』(1983 / Christine)
監督:ジョン・カーペンター
製作:リチャード・コブリッツ、ラリー・J・フランコ
脚本:ビル・フィリップス
原作:スティーヴン・キング
撮影:ドナルド・M・モーガン
編集:マリオン・ロスマン
音楽:ジョン・カーペンター、アラン・ハワース
特殊効果:ロイ・アーボギャスト
出演:キース・ゴードン、ジョン・ストックウェル、アレクサドラ・ポール、ロバート・プロスキー、ハリー・ディーン・スタントン

◆人間にはどうすることもできない圧倒的な力を持った“何か”を描いてきたカーペンター。その“何か”とは車であり、亡霊であり、宇宙から来た未知の生命体でもあるが、その真骨頂とも言える『遊星からの物体X<デジタル・リマスター版>』はいよいよ10/19から公開!
『遊星からの物体X<デジタル・リマスター版>』公式HP

◆また、IndieTokyo主宰の大寺眞輔氏をはじめ豪華な執筆陣がそれぞれの視点からカーペンターの魅力を語った「ジョン・カーペンター読本」も『遊星からの物体X<デジタル・リマスター版>』公開同日に発売される。
「ジョン・カーペンター読本」

◆エイリアンの地球侵略をカーペンターの流儀で描いたSFスリラー『ゼイリブ』の製作30周年記念最新HDリマスター版もまだまだ上映中。
『ゼイリブ<製作30周年記念HDリマスター版>』公式HP

鈴木里実
映画に対しては貪欲な雑食です。古今東西ジャンルを問わず何でも見たいですが、旧作邦画とアメリカ映画の比重が大きいのは自覚しています。