4月6日から渋谷ユーロスペースで始まったマルケル特集も本日で最終日を迎えた。この機会にマルケル作品を振り返ってみると、もう散々指摘されてきたことだけれども、やはり「エッセイ」、「横断」、「記憶」という三つのキーワードが思い浮かぶ。その点にかんして、マルケルの手掛けた作品を概観しながら書き留めていきたい。

 

 1921年、パリ郊外に生まれたマルケル(本名:クリスティアン・フランソワ・ブーシュ=ヴィルヌーヴ)は1950年頃から本格的に映画制作を手掛けるようになる。2013年にポンピドゥー・センターで開催された回顧展〈プラネット・マルケル〉に従うならば、マルケルのフィルモグラフィーの時代区分は、「旅—《ドキュメンタリー・エッセイ》の時代」(1950-1966)、「《集団制作映画》の時代」(1967-1978)、「《イメモリー[Immemory]》あるいは記憶の遺産の時代」(1979-2011)の三つとなる。つまり、『北京の日曜日』(1946 )や『シベリアからの手紙』(1958)など「旅」を通した経験/記憶を「エッセイ」として映画に記録した時代、『ベトナムから遠く離れて』(1967)や『きっとできるから』(1973)など、集団制作の可能性を突きつめた時代、CD-ROM作品《イメモリー》(1978)のように、映画にとどまらずヴィデオやインターネットなど様々なメディウムを扱った時代の三つに分けられている。

 

 ここでの「エッセイ」とは批評家アンドレ・バザンの言葉であり、『シベリアからの手紙』評で初めて使用された。バザンはこの映画について二本の記事を書いているが、そのうちの一つの題は「『シベリアからの手紙』新たな形式:「ドキュメンタリー・エッセイ」」(« Lettre de Sibérie Un style nouveau: l’“Essai documenté”  », Radio Cinéma Télévision461, 1958)となっている。「エッセイ」の語がとりわけこの頃のマルケル作品に相応しいのは、ドキュメンタリーでありながら、個人の体験/記憶の記録という反客観性をもっているからだろう。

 「横断」にかんしていえば、まず「旅」が地理的な横断であることはまちがいない。しかし同じくらいあるいはそれ以上に目にとまるのはメディウムの横断/混交である。全編スチル写真によって構成された『ラ・ジュテ』(1962)や『もしラクダを四頭持っていたら』(1966)、既存の映像のモンタージュによる『一千万の闘い』(1970)、アーカイヴ映像や既存の映画作品からの引用がなされたヴィデオ作品『フクロウの遺産』(1989)など、マルケルが扱うメディウムの領域は拡大していく。そして『レベル5』(1996)ではコンピュータ・ゲームが物語の中心的役割を担い、2006年以降はYouTubeにおいてKosinkiとして11本のヴィデオ作品を発表している(2019年4月19日現在も視聴可能)。こうしたメディウムの横断/混交は、マルケルの作品を「記憶」の「記録」からイメージ間の差異を利用した「記憶」の「再編成」へと変化させたようにも思われる。

 

 さて、今回の特集で上映された作品を先述の時代区分に当てはめてみるならば、一つ目には『北京の日曜日』、『シベリアからの手紙』、『ある闘いの記述』、『不思議なクミコ』の四作が、二つ目には『イヴ・モンタン〜ある長距離歌手の孤独』が、三つ目には『サン・ソレイユ』、『A. K. ドキュメント黒澤明』、『レベル5』の三作が相当する。もちろん、厳密にそれらが区別されるわけではなく、「記憶」や「横断」のモティーフが一貫して彼のフィルモグラフィーに表れていることは言うまでもない。しかしこうした大まかな変遷を追うこともクリス・マルケルという作家を通して映画史あるいは映像技術史を通観する楽しみに繋がるのではないだろうか。マルケルの作品群は、常にわれわれを「映画というメディウムとは何か」という問いに導いてくれるのである。

 

 

◼KosinkiのYouTubeチャンネル

https://www.youtube.com/user/Kosinki

 

◼《イメモリー》はマイケル公式サイトで視聴(体験)可能

http://gorgomancy.net

 

 

原田麻衣

IndieTokyo関西支部長。

京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程在籍。研究対象はフランソワ・トリュフォー。

フットワークの軽さがウリ。時間を見つけては映画館へ、美術館へ、と外に出るタイプのインドア派。