アラン・ロブ=グリエ特集の告知で浮き立つIndie Tokyoの面々の中、私はロブ=グリエと言えば、『去年、マリエンバートで』の脚本を書いた小説家という認識でいた。まさか、長編作品を10本も撮った映画作家とは、思ってもいなかったのだ。

そして、作品鑑賞を待ちきれず、シネロマン(小説版)『快楽の漸進的横滑り』を手に取ってみた。これは、要約、撮影台本、採録コンテと解説から成り、1977年に刊行されたと資料本だ。ロブ=グリエを知らなさすぎる私は、映画鑑賞のいわば予習をしたかったのだ。それは、予習にはうってつけの文献だった。

しかし、因果関係が判然としない詩的なプロットと、あまりに簡潔で端的なト書きに、やや辟易してしまったのも事実だ。そのようにして、映画鑑賞に至るまで、つい二の足を踏んでしまったのだった。

 

さて、絶賛公開中の『快楽の漸進的横滑り』に話を移そう。

観始めるや否や、不協和音と強烈な印象を持つショットの畳み掛けに期待を膨らませられる。そこに、紋切り型の職業監督的な流麗な編集感覚のようなものは見当たらない。

続く、ヒロインの部屋を訪れた刑事が、室内を歩きながら詮索するシーン。唐突に反復される刑事の所作、意味のまるで無い質疑応答、部屋を彩る謎めいた小物群。これからの展開を十分に予期させるものに思える。そして、人物が、たとえ裸体であれ、死体であれ、物と同等の視線を注がれている様は、観ていて圧倒されざるをえない。ロブ=グリエは、四六時中カメラの眼で物事、あるいは人も眺めていたのではないかと勘繰りたくなる。また、海辺で、ヒロインが死体と戯れていようが、いっこうに淫靡な気配を見せない。SM趣味も同様だ。ただひたすら、官能が乾いている。もはや、洗練されている。

さらに、ウェット&メッシーを地で行くようなシーンにおいても、ヒロインとノラの裸体は、マネキンのように扱われ、決して淫靡に流れない。ただし、その身体をなぞる赤い絵の具、その柔らかい毛の穂先や卵は、やけに生々しい。

また、ヒロインが感化院にて記録写真を撮影されているのにも関わらず、ポーズを取り出す様や、あまりにもあっけない街角での売春交渉は、少し可笑しくもある。

そして、ノラと買春した男が、ヒロインにするどこか既視感のある行為。ここで、ノラの悲劇が、ノラからヒロインへと役を替え繰り返される。思えば、断崖絶壁でのシーンもノラの悲劇の変奏曲だったのかもしれない。「物」化した身体が死体と思ってしまえば、微動だにしない相手への一連の行動もノラの悲劇の反復、あるいは変奏曲のように思えてくる。ちょっとした大喜利でもあるようだ。浜辺では、ノラからマネキンへの役替えされ、彼女(マネキン)は、さらに酷い仕打ちを受けることになる。

そして、事件の解決にて回収される終幕という淡い期待(本当に淡い期待)を、ある種当然のように、中盤でノラと瓜二つの女性弁護士に覆される。

「あなた少し遊びすぎよ、類似、繰り返し、置き換え、模倣もう沢山」と言う女性弁護士。

あっけらかんとしたメタ構造の告白に、胸をなでおろしたのは、私だけではないはず……

 

そのように、今作は、知的遊戯を孕みつつ、ただひたすら映像美に打ちひしがれざるを得ない作品でもあるが、実は記憶の不確定性にまつわる話とも思える。

ここで、参照したいのはアラン=ロブ・グリエが脚本を執筆し、アラン・レネが監督した『去年マリエンバートで』(1961)だろう。ちなみに、アラン・レネは『去年マリエンバートで』の前作である『二十四時間の情事』(1959)において、広義には、ヌーヴォー・ロマンの作家ともされるマグリット・デュラスとタッグを組んでいる。また、ロブ=グリエは、『去年マリエンバートで』を自身の映画第一作とみなしており、そう言われると、他のアラン・レネの監督作品とは、やや一線を画した趣きを呈しているのも確かだろう。このエピソードは、どこか『アンダルシアの犬』(1928)におけるルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの共犯関係を想起させる。

さて、『去年マリエンバートで』は、異論は多々あるだろうが、基本的には名前を与えられない登場人物たちが、去年、保養地であるマリエンバードで起きたのか、それとも起きなかったのか分からない出来事について、各々の主観的事実と、ある種客観的事実を交えて叙述される物語といって差しさわりは無いだろう。それは、虚実入り混じった記憶との戯れとも受け取ることも難しくはないかと思う。例えば、『快楽の漸進的横滑り』における、ヒロインが繰り広げる一連の記憶の変奏曲群のように。

さらに、ロブ=グリエの源流を辿ると、小説としては第二作目となるが、1953年に刊行された『消しゴム』に行き当たる。小説『消しゴム』は、ある種推理小説のパロディ的側面を持つ小説だ。容疑者が判然とせず、被害者は居るとされるものの、その遺体は見当たらず、捜査官が街の人々の証言に翻弄される様は、どこか『快楽の漸進的横滑り』を彷彿とさせる。というよりは、『快楽の漸進的横滑り』が、ロブ=グリエにとっての、『消しゴム』への回帰だったのかもしれない。

川崎早妃 立教大学社会学部卒。ENBUゼミナール在学時に、冨永昌敬氏らに師事。歯科衛生士国家資格取得後、都内医院に勤務。好きな映画監督は、増村保造、ホン・サンス、ウディ・アレン。近々映画を撮ろうとしています。