言わずと知れたスペインの鬼才、アレックス・デ・ラ・イグレシア監督の新作の舞台は観光客で賑わうヴェネチアだ。『気狂いピエロの決闘』でサーカスのピエロの気が触れていく様をエログロナンセンスたっぷりに描いた監督が、今作ではヴェネチアのカーニバルで狂気に走る道化師を描く。ファンにとっては、そんな監督の映画を見てみたいという願望をかたちにしたような作品だろう。
近年ヴェネチアでは、大型客船の来航により観光客の数が急増している。経済が潤う反面、日常生活が脅かされていると感じる地元の人々も少なくはない。町中で観光客に対するデモが行われる中、独身さよならパーティーでハメを外そうと5人のスペイン人がやってくる。道化師は、観光客丸出しの彼らに目をつけ…。

旅先だから、と目にあまる行いをする観光客に地元の住民が迷惑するのは世界中あらゆるところで起こっていることだろう。観光客としても、住民としても、決して他人事ではない。

この映画で恐ろしいのは、目の前で人が殺されても「街頭劇だ!本物みたい!」と喜ぶ観光客の姿だ。まるでヴェネチアで起こるすべての出来事はファンタジーであるかのように思い込んでいる。しかし当然、そこには日々の生活を営んでいる人々がいる。観光地といえど、ヴェネチアはテーマパークでも、夢の国でもないのだ。自分にとっては非日常でも、それは誰かの日常の一部であることを忘れてはならない。

また、劇中には浸水した廃墟がたびたび登場する。地球温暖化による海面上昇で、ヴェネチアは年々水没の危機にさらされている。そんな状況はお構いなく、日々都会で温室効果ガスを撒き散らし温暖化の原因を作る人たちが、日常を忘れようと休暇に遊やってくる。自分の日常が誰かの生活を犠牲にしているかもしれない。そうした現実にも、ハッとさせられる。

そんなテーマもあわせもつ本作だが、1970年代のイタリアの“ジャッロ映画”へのオマージュが随所に見られる遊び心いっぱいの作品でもある。精神病の設定が唐突であったり、殺人シーンがやや冗長に感じる部分もあったが、これらもジャッロ映画の特徴であることを考えると納得だ。観光客が殺人者と対峙するというプロットもこのジャンルらしい。建築物や芸術作品を強調したカットやスタイリッシュなカメラワークからは、イタリアのホラーの名手、ダリオ・アルジェント監督のスタイルがうかがえる。

人の心や人間関係の闇を嫌というほど描いた過去の作品に比べると心情描写に物足りなさはあるが、不気味でありながらカリカチュアライズされた魅力的なキャラクターたちが彩るイグレシア監督の世界観は健在だ。残酷描写も控えめだが、ひとつ監督のお気に入りの死に方であろう悪趣味なシーンがあって(ホラー映画における賛辞の意)、にやりとしてしまった。監督の傑作ではないだろうが、充分にイグレシア節を楽しめる一作だ。

≪作品情報≫
『ベネシアフレニア』 
2021年/カラー/100分/英語 スペイン語 イタリア語/スペイン
監督:アレックス・デ・ラ・イグレシア
キャスト:カテリーナ・ムリーノ
     コジモ・ファスコ
     イングリッド・ガルシア・ヨンソン

© 2021 POKEEPSIE FILMS S.L. – THE FEAR COLLECTION I A.I.E

北島さつき

World News担当。イギリスで映画学の修士過程修了(表象文化論、ジャンル研究)。映画チャンネルに勤務しながら、映画・ドラマの表現と社会の関わりについて考察。世界のロケ地・スタジオ巡りが趣味。