第21回東京フィルメックス。本記事では、11月2日(月)に上映されたシャーラム・モクリ『迂闊(うかつ)な犯罪』、ホン・サンス『逃げた女』、ノラ・マルティロシャン『風が吹けば』を紹介します。

『迂闊(うかつ)な犯罪』Careless Crime / Jenayat-e bi deghat

イラン/2020/139分

監督:シャーラム・モクリ(Shahram MOKRI)

 新作『迂闊な犯罪』が上映される映画館の前には、映画を観ようと多くの観客が集まっている。その中には、映画館の放火を計画している4人の男たちが紛れ込んでいる。彼らの計画は、およそ40年前に起こった実際の事件と重なりあう。強引な西洋化によって近代化を目論むパーレビ王朝に対する抗議活動がイラン革命へと結実する前夜の1978年8月、マスード・キミヤイー『鹿』を上映していた映画館は、4人の男たちによって放火され、478人もの犠牲者が出た事件である。スクリーンを破壊しようとする男たちとは対照的に、映画『迂闊な犯罪』のなかで上映される映画内の同名映画『迂闊な犯罪』は、二人の少女が、湖のそばにスクリーンを立てて映画を上映しようと目論む映画である。過去と現在、フィクションと現実の時空間を往還しながら、モクリは映画というメディアによって人間と世界との関わりあいを見る。

 映画館に火を着けるため、男が歩き、カメラがそれを追いかけるとき、カメラは何度となく映写機のような眩い光をとらえ、画面全体は光で満たされる。そのときわれわれは、彼が劇場内を歩いている現実こそが映写機で映し出された世界なのではないかと感じる。映画は、メディアによる情報が氾濫し圧倒される世界のなかで不確かになってゆくわれわれが、果たして現実とどのように向き合えばよいのだろうか、という問いへと直面させる。ニュース映像やドキュメンタリーの映像をみるとき、われわれは、この映像こそが世界そのものであると感じるが、しかしそのようにして報道された映像は、どれだけの現実を映しているのだろうか。

 本作は、これまでヴェネチア映画祭やベルリン映画祭などに参加してきたシャーラム・モクリ監督の長編第四作である。ヴェネチア映画祭オリゾンティ部門で上映された。

『逃げた女』The Woman Who Ran

韓国/2020/77分

監督:ホン・サンス(HONG Sang-soo)

 大学教授であり翻訳家である夫の出張のため、5年間の結婚生活ではじめて一人で過ごすことになったカムヒは、この機会に3人の女性の友人のもとへ遊びに行く。カムヒはそこで、友人のそれぞれとお互いの近況を報告しあう。彼女がはじめに訪れるのは、ソウル郊外に、同居人と住んでいるヨンスンの家である。彼女たちは焼肉とお酒を片手にお喋りを始める。

 三部構成になっている本作は、近年のホン・サンス作品のほとんどに出演している彼の恋人キム・ミニ演じる主人公のカムヒと、彼女が訪れる三人の女性たちが中心となっている。本作もまた、ホン・サンスの過去作品で用いられてきた特異なカメラワークによって構成されている。シーンの多くはミディアム・ショットでの長回しによってとらえられ、向かい合って会話する人物に対して何度かのパンが繰り返され、ショットの最後にはズームが用いられる。しかしこれまでと比較して、本作では男女関係はその会話を通じてしか映されることがない。男性たちは映画に登場するが、建物の内側には入れてもらえず、本作では彼女たちのお喋りを妨害する役割しか与えられていない。

 本作はホン・サンスの2年ぶりの新作である。これまでのように本作も海外で高い評価を獲得しており、今年の第70回ベルリン国際映画祭において監督賞である銀熊賞を受賞している。

『風が吹けば』Should the Wind Drop

フランス・アルメニア・ベルギー/2020/100分

監督:ノラ・マルティロシャン(Nora MARTIROSYAN)

 ヘッドライトを灯したタクシーが夜の山中を走っている。他に車はない。タクシーの後部座席には、フランス人技師アランが乗っている。やがて夜が明けると、タクシーはカラバフへと到着する。空港に到着したアランが滑走路を観察していると、水の入ったポリタンクを持った少年に遭遇する。

 アルメニアとの国境に隣接し、アゼルバイジャンからの独立を主張するナゴルノ・カラバフ自治州にアランがやってくる。彼の目的は、アゼルバイジャンとアルメニアとの戦争の停戦後、再建された空港が国際空港の基準を満たしているかを調査することだった。この空港が承認され開かれることこそが、国家承認への重要な足掛かりとなることを信じるナゴルノ・カラバフの人々は、期待とともに彼を迎え入れる。

 アゼルバイジャンの西部にありながら、アルメニア人が多く暮らすこの地域は、ナゴルノ・カラバフ紛争やソ連の崩壊を経て、アルツァフ共和国あるいはナゴルノ・カラバフ共和国として1991年1月に独立を宣言した。しかし現在もなお、国家承認はほとんど得られておらず、アルメニアの保護国扱いとなっている。ナゴルノ・カラバフ紛争は1994年に停戦しているが、現在もなお断続的に軍事衝突が起きており、10月にも大きな戦闘が起こったばかりである。

 映画のロケ地であるステパナケルト空港は、実在する空港である。しかし長い旅路をタクシーで移動してきたことから明らかなように、フィクションにおいても現実においてもまだ航空機は飛んでいない。それどころか、再建された空港の一歩外に出れば、何年ものあいだ行われてきた紛争のせいか、街は荒廃し、そこで生活するものたちは貧しい生活を送らざるを得ない状況に置かれているのである。映画は、この地域の困難な状況を映し出すことで、そこに実際に存在しているものたちや彼/女らが抱える問題を見えるものにする。それは、芸術という形式をとおして国際的に承認がいまだ得られていないものたちに光を当て、その声を聞き届ける試みであるだろう。

 本作は、アルメニア出身で、現在フランスでアーティストとしても活動する、ノラ・マルティロシャンの監督デビュー作であり、カンヌ2020のオフィシャルセレクション初監督作部門に選出された。

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。