今年、19回目を迎える東京フィルメックスのレポートをお届けします。

今回は第一回として、11月18日(日)に上映されたアミール・ナデリ『期待』、フー・ボー『象は静かに座っている』、リティ・パン『名前のない墓』の3作品を紹介します。

・アミール・ナデリ『期待』Waiting

イラン / 1974年 / 43分

 アミール・ナデリ特集上映のうちの一本、『期待』(1974)は、イラン出身のナデリ監督がそのキャリアの初期に本国イランで製作した中編作品である。舞台は、イラン南部の海辺の村アバダン。傾きかけた太陽の光が部屋へと侵入し、棚に置いてあるガラスの器に反射するころになると、母親は「氷をもらってくるように」と少年に言いつける。それを心待ちにしていた少年は、光輝くそのガラスの器を手に取ると、氷をもらいに走り出すのだった。

 この作品にはほとんど台詞がなく、太陽の強烈な光と、アバダンの美しい街並やそこに住む人々によって切り取られた影とが鮮やかに映し出されている。波のさざめき、水タバコのブクブクという音、ニワトリの鳴き声、鈴や打楽器の音などが強烈に印象的に残っている。氷を持ち帰る少年以外に街の中にはほとんど人の姿が見えず、幻想的な雰囲気が漂っている。

 上映後のQ&Aでは、この作品がナデリ監督の自伝的な要素が盛り込まれた作品であることが語られた。ナデリ監督の故郷アバダンは、イラン南西部にある石油で有名な河港都市であり、この暑い地域の人にとって氷は貴重なものであったという。ナデリ監督自身、この作品の少年のように、氷をもらいに行くことが楽しみで仕方がなかったのだという。また街のシーンの非現実感を表現するために、溝口健二の幽霊のシーンを参考にしたことを語っていた。

・フー・ボー『象は静かに座っている』An Elephant Sitting Still

中国 / 2018 / 234分

 2本目はコンペティション部門から、フー・ボーの長編第一作であり遺作となった『像は静かに眠っている』。中国の地方都市に住む四人の登場人物たちの四つのエピソードを中心に描いた作品である。四人はそれぞれが困難を抱えており、この街を離れてどこかに行きたいと思っている。彼らはやがて、北方の内モンゴルの街・満州里へと向かう。そこには、静かに座りつづける象がいるのだという。

 息がつまるほどの被写界深度の浅さ、なおかつ3時間54分という長さで心配したが、しかし最後まで面白く鑑賞できた。どんよりと灰色に曇った街並み、ピントの範囲の狭さ、ミディアムショットやクロースアップの多用、人物の周りを縫うように移動する長回しのキャメラワークが、まさに登場人物たちの息苦しさや疲労感を表現していて、正直なところかなり圧倒されてしまった。

 昨年、映画の完成後に自ら命を絶ったフー・ボーであるが、この作品で今年のベルリン国際映画祭では国際批評家連盟賞を、また台湾の第55回金馬奨賞では最優秀作品賞を受賞したという。新作を見ることができなくなってしまったのはとても残念である。

リティ・パン『名前のない墓』Graves Without A Name

フランス、カンボジア / 2018 / 115分

 カンボジアのドキュメンタリー監督であり、クメール・ルージュに関する映画を撮影しつづけているリティ・パンの『名前のない墓』は、ポル・ポト政権下のクメール・ルージュ時代に殺害されたパン監督の家族の遺骨がどこにあるのかを明らかにしようとするドキュメンタリーである。映画は、宗教的儀式のためのパン監督本人の剃髪のシーンから始まり、旧人民に属する元軍人、権力を有していた農民の二人のインタビュー、そして霊媒師の霊媒シーンによって構成されている。それらインタビューや霊媒シーンのあいだには、カンボジアの美しい自然の上で多数の犠牲者たちが抹消される様子が再現された映像が挿入されるが、それは人間を用いるのではなく、写真や仮面などのモノによって表現されている。

 Q&Aで監督は、この映画を製作するにあたり、犠牲となったものたちに対して「どのように喪に服すことができるか」を考えていたことを語っていた。この映画は、カンボジアという名前のない墓において、生きていた証を抹消されたものたちを探し出し、その声を聞きとどけ、こうした祖国の悲劇を記録することであるだろう。

 

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。