『薄氷の殺人』で知られるディアオ・イーナン監督の新作『鵞鳥湖の夜』が現在公開されている。中国の地方都市を舞台に、トラブルから誤って警官を射殺し指名手配された前科者の男が、自らに懸けられた報奨金を疎遠になっていた妻子の手に渡すための逃走劇が描かれる。
前作からのフィルムノワールの要素を引き継ぎながら、鮮やかな映像でよりバイオレンスなクライムサスペンス的展開が繰り広げられる本作について、監督にメールインタビューを行い、物語や俳優たちの演技や演出について、また撮影が行われた湖北省武漢市についてなどの質問に応じてもらった。

男たちは喧嘩をして存在を証明するが、女性は自分の存在そのものを用いて自らの価値を証明する

Q.『薄氷の殺人』(2013年)は謎めいた女を追う刑事の物語でしたが、この作品は警察やギャングといったいくつかの勢力が主人公チョウ(フー・ゴー)とアイアイ(グイ・ルンメイ)を取り巻き、その関係が少しずつ崩れていくような緊張感があります。このような構成になったのはなぜでしょうか。また、脚本を書く上で、着想を得た事件や出来事がありましたら教えてください。

 『薄氷の殺人』の前にすでにこの映画の着想がありました。ある日の午後、私は五輪真弓さんの歌を聴いていました。もちろん私は全く歌詞はわからないですが、彼女は男女の哀しい別れを歌っているのだと感じました。愛情の消滅、離別など、わたしを感動させました。その歌声は自分の中学の時好きだった女の子のことを思い出させました。同じテーブルで授業を受けて一学期も満たさず、彼女は遥か遠い南方に転校しました。私はとても長い間悲しみました。役に立たず無為に過ごしている自分は、人生の失敗者のようなものですが、彼女のことを思い出して、会いたくて、もし彼女の暮らしが私より苦しいのであれば、私はベストを尽くして彼女を助けたいと思いました。そこで私は自分が報奨金を背負っている指名手配中の犯人だと空想をし、逮捕から逃れて南方の町にやって来て、好きな女の子と何日かともに過ごしてから、彼女に私を告発させて、新たな生活を始める充分なお金を彼女に残したい。当時はこのストーリがあざとすぎると感じていたので、純愛物語として、しばらくノートの中に置いていました。

ディアオ・イーナン監督

Q.フィルムノワールでは、「ファム・ファタール」として運命の女、男を破滅へ導く女性が描かれます。アイアイは娼婦であり、運命の女としてチョウを惹きつけますが、それでいて清純なあどけなさを感じさせるようにも思いました。アイアイのキャラクターの着想はどこから得ましたか?またどのようにキャラクターを練り上げましたか。

 最初の考えはとてもシンプルで、これまでの映画とは違ったフィルムノワールを構築したいと思ったからです。実生活の中で、私はもろくて弱い男性と、勇敢で思いきりのよい、人情も義理も備わる女性を数多く見てきました。例えば結婚式や葬式の場で、男はひどく酔っ払ってしまうか我慢し強がる一方ですが、女性たちは責任感を持ち、とても主導的に立ち振る舞います。女性はずっと家父長制の影の中で暮らしていたので、意志が堅く、くじけない一面を持っているのです。男たちは喧嘩をして存在証明しますが、女性は自分の存在そのものを用いて自らの価値を証明することができるのです。
アイアイの役を構想する過程は複雑でした。私は『薄氷の殺人』(2014年)を撮り終えてからもまたグイ・ルンメイを撮りたいと思っていました。なのでシナリオを書くときから彼女のイメージを参考とすることが多かったです。本作では途中まで女性は受動的で、弱々しい描かれ方をしますが、重要なのは最後に尊厳と勝利を勝ち取ったことです。アイアイというキャラクターは男女に関わらずすべての弱者に対する呼びかけだと私は思います。

我々人間も獣性を隠し持っている

Q.些細な目線の動きや息遣いから登場人物たちの表情を読み取ることができました。顔の表情、目線を使った表現へのこだわりなどがあれば教えてください。

役者にはできるだけ中性のパフォーマンス、あるいはどちらともつかないパフォーマンスを求めました。このようなパフォーマンスと映像のスタイルは映画の雰囲気と一致していると思います。演技には尊厳が必要で、安っぽいおおげさな表現を使って観衆に迎合するものではありません。演技とは密かなものであり、できるだけ隠しつつ、所作で細部を表しそれによって人間の本音を描き出します。

Q.身体の一部のフォーカスにより、人間がより生き物的(動物的)に感じました。動物園での動物のフォーカスとの比較で、よりそう感じたようにも思います。人間をより動物的に写すことに対してどう思いますか。

 よく世界あるいは都市がジャングルに似ていると言いますが、本物のジャングルにはとても残酷な生存の掟があります。弱肉強食、自然淘汰です。人は社会的動物なので、道徳的倫理があります。一方で、我々も動物ですから、獣性を隠し持っています。動物のように生存を奪いあわないのは、厳しい法律があるからです。警官と逃亡犯を動物のように描くことで、彼らの闘争心が道徳を越え、ともに生存のためにのみ戦っているように思えます。強弱・貧富・そのパランスを維持するため、社会的な食物連鎖があるようです。いずれの社会においても制度は変わりそうになく、世界そのものはジャングルのように差があるから、こういった力関係が維持されているのだと思います。

Q.全篇を通してアクションシーンに見応えがありました。特に終盤の傘を使った血しぶきのシーンは美しさも感じ、感動しました。ああいった演出の着想はどこから得ましたか?また、何か影響された作品などありますか。

 シナリオを書く時に自然に頭の中に浮かび上がる画を書きました。こんなに痛快な殺人シーンはなかったなあと思いました。カンヌ映画祭でプレミア上映された時、このシーンはある映画の殺人の場面を思い出させると記者が言っていましたが、今なおその映画を見てはいません。

Q.チョウが最後に警察に打たれる直前、アイアイと牛肉麺を食べるシーンが印象的です。生きることへの執着を感じましたが、彼が最後まで逃げ続けたのはどうしてだと思いますか?

 彼が最後まで逃げ続けた理由は自分の妻を探して彼を告発させ報奨金を彼女の手にしたいからです。しかし妻が来られなくなったので、自分の計画を完成させ妻に報奨金を渡すため、信用できる人を探さねばならないのです。

南方のいつも湿っぽい空気と雨を、この映画は避けられない

Q.夜の闇にネオンの極彩色が映えていて、とても映像が美しかったです。共通する撮影や美術のスタッフが参加しているウォン・カーウァイ監督の映画や、『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』(2018年)なども連想させられましたが、色鮮やかな映像で、フィルムノワール的な要素のある物語を撮ろうとされたのはなぜでしょうか。

 南方の湿っぽさと雨が、余計に色を明快にさせたのだと思います。南方の人々の服装や建物の色は鮮やかで濃いと感じますが、その理由がわかりません。そこには冬がないから、灰色と白色を見ることができず、いつも気が狂うほど成長する緑と無数の彩り美しい花の中で暮らしているからなのでしょうか。
 この映画の美術監督のリュウ・チアンと撮影監督のトン・ジンソンは私と『制服』(2003年)の時から『鵞鳥湖の夜』まで4つの作品をすべてほぼ一緒に作りました。照明監督のウォン・チーミンはウォン・カーウァイ監督と組んで彼の最初の5つの作品に協力していました。撮影のトン・ジンソンと照明のウォン・チーミンはともに『ロングデイズ・ジャーニー』にも参加しています。言いたいのは、撮影監督と美術監督と一緒に今日まで成長してきたことはとても楽しかったです。

Q. 夜のシーンに思い入れがあるということでしたが、本作では雨、湖、そしてチョウが一夜を過ごす廃屋でもポタポタと滴る水の音がするなど、“水”にも思い入れがあるように感じます。視覚的な面や音の面で“水”の存在が果たす役割をどのように見ていますか。

 南方はいつも湿っぽい空気と雨に浸られていることを、この映画は避けられません。雨は文学と映画の中でよく使われる情景であって、雨量とその時間の長さが、世界の狂気、暴力、曖昧さ、焦り、謎めいた感情を表しています(比べてみると、雪のイメージはよりロマンチックであたたかいです)。  
夜間の廃屋のポタポタと滴る水の音は空間を表しています。孤独なときこそ、音がやってきます。それは外部のかすかな音でもありますし、ブレッソン式の内心の独白でもあります。
夜の湖面は主人公たちを世界から切り離し、世界の果てにいるように描くことができます。それはぼんやりしている夢の世界、あるいは水面で揺れ動く揺りかごであって、愛情のようですが、また反対に死を意味する鏡でもあります。

Q.ワンタン店に向かう途中でアイアイが人々のダンスに一瞬だけ加わったり露店の光るおもちゃを眺めたり、あるいはチョウが小銭を入れると歌いだす女の首の人形に足を止めたりするなど、街のどこか不思議な要素が登場人物の何気ない行動を誘っているようでとても印象に残っています。全ての場面は、脚本や美術の段階で決まっていたのでしょうか。それともロケ地が決まってから取り入れた要素もあるのでしょうか。

 これらの場面はすべて脚本段階で書きました。ただ脚本の描写に合うシーンと道具を探し、文字の表現した雰囲気を映像にするだけです。

Q.この映画は主に武漢でロケがなされ、また、登場人物たちの話す言葉もその地方の方言が強いと聞きました。武漢をこの映画の撮影地に選んだのはなぜでしょうか。
また、今現在、武漢という土地について感じていることを教えてください。武漢の地で起きた出来事が、監督のこれからの作品作りに影響を及ぼしていくことはあるのでしょうか。

 もともと広州で撮影する予定でしたが、広州には映画で必要となる湖がないので武漢にやってきました。武漢は中国では“百湖の城”と言われていて、市街の至る所に大小さまざまな湖があって、とても美しいです。単に面積のことを言うなら武漢が世界トップ3の都市に入れると思います。市街区域のスケールが巨大で、近代的なところと取り残されたところが共存し、高層ビルを見ることができますし、映画に出てくる城中村を見ることもできます。豊富な社会的空間が広がっているので、特にこの映画の印象に合いました。でも新型コロナウイルスが発生してから私はまだ武漢に行ったことがないので、今の武漢の情報はすべてメディアの報道によるものですが、武漢はこの未曾有の事態から立ち上がろうとしていると私は感じます。

『鵞鳥湖の夜』については、本サイトWorld News([856]『鵞鳥湖の夜』モデルとなった脱獄死刑囚と、社会の影で生きる中国の「下級」国民)にて、下敷きとなった実際の事件や重要なモチーフである水浴嬢についてなどを詳細に紹介している他、主宰の大寺眞輔によるyoutubeチャンネル「カドの映画屋さん」でも解説動画がアップされています。鑑賞の前後に、ぜひご覧ください。

本文インタビュー:永山桃、吉田晴妃
編集:吉田晴妃

『鵞鳥湖の夜』
監督/脚本:ディアオ・イーナン『薄氷の殺人』
撮影:トン・ジンソン『薄氷の殺人』、照明:ウォン・チーミン『花様年華』『2046』、美術:リュウ・チアン『迫り来る嵐』『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』
出演:フー・ゴー『1911』、グイ・ルンメイ『薄氷の殺人』『藍色夏恋』、リャオ・ファン『薄氷の殺人』『戦場のレクイエム』、レジーナ・ワン『戦神 ゴッド・オブ・ウォー』

2019年/中国・フランス合作/111分/ビスタサイズ/PG-12
英題:THE WILD GOOSE LAKE(原題:南方車站的聚会)
配給:ブロードメディア・スタジオ
9月25日(金)より全国ロードショー中

公式サイト

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