トラヴィス、あんたの時代はよかったかもしれない。世界はもう少しシンプルだった。もしくは、シンプルに見えた。ニューヨークという大都会の片隅で、孤独を感じ、疎外をおぼえ、やるせない気分に陥った自分を救いたかったら、右腕に銃を仕込んで街の浄化に乗り出せばいい。運がよければヒーローになれる。

 

ミレニアムを20年近くも過ぎた今の世の中はより複雑になった。脚本を書き上げた『タクシードライバー』から四十余年。ポール・シュレイダーがそれよりも以前から構想を温めていたという『魂のゆくえ』は、トラヴィスの帰還だ。M65ジャケットから祭服に着替え、銃の代わりに聖書を携えて若者から中年に姿を変えた男の魂が、今度は信念の揺らぎと罪悪感にさいなまれて叫び出す。

 

ポール・シュレイダーみずからが語るように、『魂のゆくえ』にはロベール・ブレッソンの『田舎司祭の日記』とイングマール・ベルイマンの『冬の光』が色濃く投影されている。田舎の小さな村の教会に派遣された若いカソリックの司祭が、赴任のその日から日々の出来事を書きつづる。篤い信仰心を持つ真面目な彼だが、内向的で村人たちにはウケが悪い。子どもたちにもからかわれる始末。胃弱を理由に、固いパンを赤ワインに浸したものを食べていれば「アル中」とうわさされ、先輩司祭には「きみは変わっているが、そのままいくしかない」と毒にも薬にもならない説教を食らうだけの八方塞がり。いつしか信仰は揺らぎ、胃がんまでもが見つかって身も心もボロボロになっていく。『冬の光』の牧師の前には、「中国による核の脅威」という考えに取り憑かれて苦しむ男とその妻があらわれる。妻の頼みで男の心配を取り除こうとするが、失敗。男はみずから命を絶ち、牧師は失意のうちに、誰もいない教会で礼拝を執り行う。

 

この二人の悲惨な主人公を煎じ詰めたのが、『魂のゆくえ』のトラー牧師(イーサン・ホーク)だ。トラーはさらに深い闇を抱えている。一家代々の伝統に従い、息子を軍に入隊させてイラクで失った。このことが引き金となり、妻とは離婚。酒に溺れていたところを、教区上層のアバンダンド・ライフ教会の牧師に拾われてファースト・リフォームド教会の牧師の職を得るが、息子を死なせたという罪悪感から、いまだ酒を手放せない。アバンダンド・ライフ教会は5,000人の信者を収容できるメガ・チャーチだ。環境破壊に加担しているとネットで非難される地元大企業バルクの支援を受け、礼拝や説教のテレビ番組も持っている。トラーの教会にもバルクの援助が入っており、トラーは両者に頭が上がらない。そういった状況には慣れっこといったふうで、「観光用教会のくせに」とくさされても意に介さない。観光客が訪れれば嬉々として敷地内をまわり、教会内のみやげものコーナーに案内するトラーだが、夜には酒をかたわらに思いのたけを日記にぶちまけるのである。

『タクシードライバー』のトラヴィスも日記を書いていた。文字として残された思考は凝縮する。ページを重ねるごと煮詰まって先鋭化した思いを、トラヴィスはあのようなかたちで爆発させた。トラーの魂は、はたして解放されるのか。『タクシードライバー』では12歳の娼婦に扮したジョディ・フォスターがトラヴィスの頭上に光をともした。『魂のゆくえ』でその役を担うのはアマンダ・セイフライド演じる数少ない教会信徒、メアリーである。二人が体を重ねたときに起こるある神秘的な出来事が、信仰に絶望したトラーに新しい使命を与え、ここから物語は疾走していく。そうして迎える息を呑むラストは、解釈の分かれるところだろう。余韻に浸らせる映画はいくらでもある。「あれは何だったのだろう」と考えさせる映画も少なくはない。だが、エンドロールの始まった瞬間、自分は何を体験したのかとあっけにとられ、焼きついた光景を反芻し、理解を超えた何かをポジティブに受け入れようと心を動かされるものにはそうめったにお目にかかれるものではない。

 

ポール・シュレイダー自身は『魂のゆくえ』を「スピリチュアルな映画」と表現する。キリスト教と信仰という語り口で描かれているのは、まぎれもなく現代のアメリカ社会が抱える問題だ。環境破壊が進み、急進化する若者、権力がものをいい、不寛容がはびこる世界。そこに送り込まれたトラーはポール・シュレイダーの良心ではないか。50年の時を経て噴出したその内なる声が聞こえてくるような、重くたくも切っ先鋭い映画だ。

 

『魂のゆくえ』を読み解くいくつかの事物

■トーマス・マートン

トラー牧師が尊敬し、著書を愛読する司祭。祈りと労働に励むことをモットーとするトラピスト会に所属。文筆の才に長け、文学論も著す。自伝『七層の山』は大ベストセラーになるが、その著書の大半は日本語には翻訳されていない。ベトナム戦争反対、核兵器廃絶といった政治的な発言も多数行った。

■「アイランプ」

メアリーとマイケル夫妻のリビングルームに置かれた存在感たっぷりの目玉型サイドランプ。フェミニズムをモチーフにした作品を数多く手がけたポップアート作家のニコラ・Lが69年に初めて発表した。69年に50エディション、00年に25エディションがリリースされ、現在およそ三百数十万円の値が付いている。

■ペプトビスモル

主にアメリカで販売されている、ピンク色の液体もしくは錠剤の胃腸薬。劇中、トラーが酒の入ったグラスに注ぐ液体がこれ。グラスの中でアメーバのように不気味に広がるさまは、トラーの不安な心を象徴するかのように見える。

■Who’s Gonna Stand Up And Save The Earth?

ニール・ヤングが14年に発表した環境保護を強く訴える作品。劇中でもある明確なメッセージとして使われ、政治的言動を好まない教会スポンサーからトラーがにらまれる一因となる。

 

《作品情報》

『魂のゆくえ』

4.12(Fri)よりヒューマントラストシネマ渋谷、シネマート新宿ほかロードショー

監督・脚本:ポール・シュレイダー

出演:イーサン・ホーク/アマンダ・セイフライド/セドリック・カイルズほか

2017年/アメリカ/英語/113分/カラー/スタンダード/5.1ch

原題:First Reformed/日本語字幕:亀谷奈美

提供:NBCユニバーサル・エンターテインメントジャパン

配給:トランスフォーマー

小島ともみ
80%ぐらいが映画で、10%はミステリ小説、あとの10%はUKロックでできています。ホラー・スプラッター・スラッシャー映画大好きですが、お化け屋敷は入れません。