時が過ぎ、私たちはまさに彼の見ていた「未来」という今に立っている。

2017年アカデミー賞ドキュメンタリー部門ノミネート作品である『私はあなたの二グロではない』はアメリカの黒人作家の代表であるジェームズ・ボールドウィンが語るアメリカの60年代、そして彼の予言した未来の姿を彼の言葉のみのナレーションとともに語ったドキュメンタリー作品。トランプ政権とともに人々から支持された今作はアメリカのみならず全世界に根を張る「差別」の現状を真っ向から見せつけてくる。いま、彼の言葉を聞く意味とは。
(ジェームズ・ボールドウィンについて 過去記事:知られざる黒人作家の苦闘

今回から三人によるリレーレビューという形式で違う視点から今作の魅力に迫る。
レビュー第一弾ではmugihoが「差別」の昔といまについて。そして監督のジェームズ・ボールドウィンとの関係性、監督がなぜ今作を作ったのかインタビュー訳とともに読み解いていく。

私たちが生きている世界は今も昔も同じくらいに残酷でどうしようもない場所だ。それは時間や時代の流れが解決してくれるものではなくて、むしろ時が経って歴史と呼べるものが長くなっていけばいくほどに過去の過ちの記憶が薄れていき私たちは同じ苦しみを互いに課しながらなかなか前に進むことができないでいる。同じ人間がもう一方を人間として扱わない世界とは、どんなところなのだろうと想像したときに浮かぶのはアフリカ系アメリカ人たちの歴史だ。彼らはアメリカという「人間社会」に連れてこられた白人たちにとって使い勝手の良い似た形をした人間ではない生物だった。ただの「差別」で片付けられるほどに物事は整理されていない。そもそもスタート地点が「人間」以前なのだから400年うちの半分はもはや人間としての権利は一切なく独立戦争後のアメリカ合衆国憲法修正第13条によって初めて公式に奴隷制度が廃止された彼らの立場はいかなるものであったか。

今作では現在と過去の映像が入り混じり自分がどこにいるのかわからなくなるような錯覚に陥る構成を持つ。これは問題がまだ未解決であり、現在進行形でアメリカに蔓延していることを何度も私たちの意識に語りかけてくる。一見すべてスムーズに動いているかの「いま」を代表する映像にはここ近年エスカレートしている警察からのアフリカ系アメリカ人たちをターゲットにした嫌がらせや不当な発砲・逮捕・リンチなどの様子が映し出される。

「わたしはメッセンジャーのようなものです。わたしは背景に立ってただ彼の言葉をいまの時代に届ける役目を果たすだけです」と語る監督。今作の語りの言葉はすべてボールドウィンのものである。監督自身の語る言葉もなければ他の人が喋る言葉もない。

この物語は60年代に活躍したマーティンルーサーキング、メドガー・エバーズ、マルコム・Xの三人に焦点を当ているが主役は言葉ひとつひとつから力強い意志と思想が浮かんでくる語り手のジェームズ・ボールドウィンだろう。全員アフリカ系アメリカ人という背景を持ちながらこの歴史的問題にそれぞれまったく違う姿勢で臨んだ。語り手のボールドウィンは彼らの歴史に残る活動、変化、姿を中立的な立場から描かんとした。三人はボールドウィンがまだ生きている間に次々とこの世から姿を消していきボールドウィン自身も30ページだけの未完成の随筆“Remember This House”を残しこの世を去ってしまった。残ったのは書かれなかった物語、あの時代に見た未来であったいまだ。彼らはどんな未来を夢見て人々に何を伝え続けたのだろうか。

「どうやって彼の声を蘇らせようか。この作品を制作するにあたってひたすらそれを考えていました。わたしを形成する上で重要な意味を持った彼の存在をどう表現していけばいいのか。そして同じ世代を生きた人たち、そしてその後に続いていく人たちにどのようにして彼のメッセージを届ければいいのか。」

その受取手となり、未完成の物語の続きを語ろうとした今作監督ラウル・ペックはハイチ出身だがコンゴ、フランス、ドイツ、アメリカで教育を受けている。監督自身がボールドウィンの文章と出会ったのは16歳17歳くらいの頃、彼の思春期にはボールドウィン独特の世界観が張り付いている。彼自身、様々な場所に住みどこか外側から世界を見ていた。問題の渦中にいながら同時に違うところからそれらを向き合う。どこにも属せないからこそ彼の発した言葉には時代や国籍を超えて届けられたのだろう。ボールドウィンの視点と監督の世界の見方にはどこか共通するものがある。

「今作のコアとなる原作は未完成の原稿『Remember This House』ですがそれ以外にも彼が違う場所で発した言葉も組み込んで彼の存在をよりはっきり立たせようとしました。実際に自分が若い頃に読んだ作品に戻り、その時引いた下線などからも作中で使う言葉を見つけました。」

ラウル監督が伝えたかったこと。
それはボールドウィンの予見した未来が悲しながらも現実となってしまった現代、一人一人がいかにこの問題を自分の世界とつなげていけるかということ。

「Not everything that is faced can be changed. But nothing can be changed until it has been faced. History is not the past. It is the present. We carry our history with us. We are our history. If we pretend otherwise we literally are criminals.」

「向き合うことすべてを変えることはできない。しかし向き合わなければ何も変えることはできない。歴史は過去ではなく現在であり私たちはその歴史を抱えている。私たち自身が歴史であるのだ。そうでないふりをする私たちは皆犯罪者だ」
ージェームズ・ボールドウィン

その道しるべとなる彼の言葉がまだ耳にはりついている。

次回予告:板井が制作形式という視点から本作の構成の特徴や魅力を紹介します!

『私はあなたのニグロではない』
(原題「I AM NOT YOUR NEGRO」)93分、アメリカ/フランス/ベルギー/スイス
監督:ラウル・ペック 原作:ジェームズ・ボールドウィン 語り手:サミュエル・L・ジャクソン 
日本語字幕:チオキ真理 字幕監修:柴田元幸
配給・宣伝:マジックアワー 
公式サイト
5月12日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開

参考
http://povmagazine.com/articles/view/i-am-not-your-negro-interview

http://www.slate.com/blogs/browbeat/2017/02/23/an_interview_with_raoul_peck_on_i_am_not_your_negro_and_why_it_took_him.html

mugiho
夜の街を彷徨い、月を見上げ、人間観察をしながらたまにそれらについて書いたり撮ったり