1915年、第一次世界大戦さなかのフランス。二人の息子を前線に送り出した農園の未亡人オルタンス(ナタリー・バイ)は、作業の人手として若い娘フランシーヌ(イリス・ブリー)を雇う。
男性が戦場へと旅立っていく状況のもと、農村を舞台に女性たちの日々と労働、心情を静かに描いた『田園の守り人たち』。戦争を題材にしているものの、戦場の場面をほぼ見せないこの映画を作るにあたり、監督のグザヴィエ・ボーヴォワは『シェルブールの雨傘』(監督:ジャック・ドゥミ、1963年)を思い描いたともいう。
一昨年の東京国際映画祭でも上映されたこの作品(上映時タイトル『ガーディアンズ』)が、7月6日(土)より岩波ホールほかにて公開される。それに先立ち、監督に電話インタビューを行い、物語や制作の過程などについて尋ねた。

-今までオリジナルの脚本を書いて映画を監督されてきましたが、初めて原作のある作品を作ってみていかがでしたか。
 
 この原作自体は、フランスでも全く有名な作品ではありません。どうして今回、こうして取り上げたかというと、この映画のプロデューサーでもあり、モーリス・ピアラの未亡人でもあるシルヴィー・ピアラから紹介されたからでした。彼女も、そしてピアラも、作者エルネスト・ペロションの小説をいつか映画にしたいと考えていたんです。
シルヴィーから、本を一冊手渡されていて、ー私はすぐには読まなかったのですがーーちょうど自分の扱いたいテーマにとても合致していたので、この映画が始まっていきました。とても良いタイミングでこの本を読んだと思います。
ただ一つ言えるのは、とても忠実に小説を映画にしたというわけではなくて、かなり変えています。私の考えでは、良いアダプテーションというのは良い裏切りです。今回は、舞台となる場所の地方が変わっていたり、登場人物も減らしたり付け加えたりしていますが、私の思うこの小説のエッセンス、感情的な精髄というものはしっかり取り込めているのではないかと思います。ただ、他の人がこの小説を読むと、「全然違うじゃないか!」と驚くかもしれません。日本では翻訳されていないかもしれませんが…フランスでも全く知られていないんです。

ー劇中では多くの手紙のやり取りが描かれていましたが、映画における手紙の存在についてどのように考えていますか
 
 当時、戦地に行った男たち、あるいは残された女たちにとって、手紙を交換することは、それによって自分たちの気持ちや士気を維持する手段でした。ですから、本当に毎日毎日書いていた人もいたくらいです。というのも、当時の手紙は無料だったんです。切手を貼らなくて良かったんですね。
私が知っている話では、四年間、毎日欠かさず出していたという夫婦もいたそうで、そういった兵士の手紙というのがたくさん残っています。当時の郵政省も、手紙の配達人を四万人増員していました。ですからこの映画で描かれていることは決して誇張ではなくて、当時は電話もラジオもありませんでしたから、社会の情勢に通じようと思うと、まずそれにリンクする手段が手紙だったんです。
当時、誰もが非常に素晴らしいフランス語を書いていました。今のSNSでは、スペルを間違える子がいっぱいいますし、はすっ葉な言葉しか書けない人が増えてきて…本当に、そういった美しさが失われていっているのが現代の手紙です。
でも日本でも、ー私、書道は本当に美しいなと思っているのですがーー書道をやっている人というのは、だんだん減っていっているのではないでしょうか?(笑)。そんなふうに、国の文化遺産が少しずつ衰退していくというのは本当に残念に思います。
 
ー手紙のやり取りが描かれていたり、またはナタリー・バイが出演していたりと、私自身はこの映画を観ていてフランソワ・トリュフォーの作品を思い出すところもありました。『田園の守り人たち』では、ミシェル・ルグランの音楽であったり、モーリス・ピアラの妻であったシルヴィー・ピアラがプロデューサーを務めていたりと、フランスの映画史を代表するようなスタッフも参加されていますが、撮影するなかで、映画の歴史の存在を意識したことはありましたか。
 
ナレーションに関して言えば、今回劇中で引用した手紙というのは、フランスの兵士が書いた手紙にインスパイアされたというわけではなくて、ドイツ人ードイツ人もフランス人も、戦地に行かなくてはならないという状況は同じなのでーーの手紙でとても美しいものがあったので、そこからインスパイアされたものでもあります。
フランソワ・トリュフォーのナレーションの使い方というのはとても成功していて、美しいと思います。今回はトリュフォーのナレーションの使い方とは少し違っていて、手紙の朗読になっています。トリュフォーはどちらかというと、見えない第三者がコメントするようなものが多いですよね。今回私自身は、初めてナレーションという語り口を採用しましたが、結構気に入っています。
それからモーリス・ピアラの存在について、ピアラと私の継承的な関係というのは、これは意識的にやっているのではないのですが、撮影の方法であったり、あるいは画面のフレームの作り方であったり、そういったところでおのずと似てくるところもあると思います。それが偶然ではないのは、ピアラの未亡人であるシルヴィーが、私のなかにピアラの継承者をみて、プロデューサーとして関わっていたからではないでしょうか。
ミシェル・ルグランは、残念ながら今年の一月に亡くなってしまいましたが、彼はフランス映画史のなかで本当に神話のような人でした。そんなレジェンドな人が、依頼を快諾してくれて、しかもスタジオで音楽を作ったのではなくて、彼の家に招待されてリビングで一緒に仕事をしました。それだけでなくて、友人になれたんですよ!一緒に魚釣りに行ったり、狩りに行ったり――彼は『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』、『ロバと王女』など、フランス映画の音楽家として本当に素晴らしい人でしたので、私自身はそんなレジェンドと友達になれてすごく嬉しかったです(笑)。
 

ー劇中、フランシーヌが初めてオルタンスの農場にやってくる場面でルグランの音楽が流れたときは、とてもドラマチックでした。映画で音楽を使うタイミングをどのように決めていきましたか。 

 撮影に入る前には、音楽をどこにいれようかといったことはあまり考えません。編集のときに、映像を見ながらそれに耳を傾けるといった感じで、どこに音楽を入れようかと決めていくんです。
ただ、私自身のやり方としては音楽をあまり多用したくない。できれば少ない方が良い。フランシーヌがオルタンスのもとにやって来る場面では使いましたけれど、あそこは物語がぐっと進む場面ですよね。だから音楽を挿入しましたが、あまり音楽を使うのは好きではありません。ときどき、音楽を多用しすぎて感情を破壊しているような作品を観ることがありますから。
過去の作品でも『若い警官』(2005年)のときは全く使っていません。『チャップリンからの贈り物』(2014年)のときは、やはりチャップリンが題材ですので音楽をもう少し使ってもいいかなと思いましたが、私自身はあまり使わない方です。特にこの映画は農場が舞台になっていますが、農家の人たちというのは本当にあまり喋らないんです。そういった寡黙な雰囲気をリスペクトするためにも、彼女たちが話しているときに変に音楽を流したりするようなことは絶対にやりたくありませんでした。

ー映画のラストについてお伺いします。オルタンスとソランジュ(ローラ・スメット)の農場には、戦争が終わって男たちが帰ってきます。かつての暮らしが戻ってきて幸せだとオルタンスが言う一方で、フランシーヌはそれまでとは全く違う場所で人生を歩んでいきますね。
 
 その通りです。フランシーヌは服装も髪型も変えてとてもモダンになりますよね。ただ、オルタンスは保守的なポジションに残ったというよりも、息子が一人戦死して、もう一人は戻ってきたということで、戦争が終わって平穏な日々が戻ってきたということに対してとても安堵しているんです。彼女は年齢的にも若くはありませんから、今まで通りの生活に戻ったということに安心するタイプです。でもソランジュは、そんなに保守的な女性ではありません。兄弟たちが土地を奪い合うことに対して抗議するように、男たちの無責任さに怒ることもできる。ひょっとしたらソランジュは、もしこのストーリーが続いていくとしたら、もう少し自由を勝ち得て、都会に行ったり離婚したりするタイプの女性かもしれませんね。自由な女性です。
 
 
ー別のインタビューでは、『田園の守り人たち』について、これまでの監督作は男性主体の作品が多かったので女性の視点を描いた映画が作りたかったと動機を語っていましたが、実際に作ってみていかがでしたか。

 正直なところ、女優達を演技指導するというのは、男性たちと仕事をするよりも楽だと感じました(笑)。女性たちは、比較的監督を信頼してくれるんですね。だから「監督にお任せします」というように、全幅の信頼を寄せてくれるんですけれども、それに対して舞台俳優的な男性の俳優というのは、役柄に対してすごく真剣です。フランス語では舞台俳優はコメディアン(comédien)、映画俳優はアクター(acteur)というんですけれども、舞台俳優的な人というのは、自分で人物をすごく造形しようとします。私はそんなことはしてほしくないと思っているのに、一生懸命あたふたしてしまう男性の俳優もいるんです。私自身は、そこにいてくれる存在だけで十分だというように思っています。アクションしてくれればいいんだ、と。
そういう意味では、今回仕事をした女優たちは、舞台俳優的な人も映画俳優的な人も同等に私を信頼してくれたのでとてもやりやすかったです。

『ポネット』(ジャック・ドワイヨン、1996年)や『夜風の匂い』(フィリップ・ガレル、1999年)、『レット・ザ・サンシャイン・イン』(クレール・ドゥニ、2017年)への出演など、俳優としても活動しているボーヴォワ監督らしい見地も含んだ返答でインタビューが締めくくられた。
日本の書道やミシェル・ルグランの話題など、ユーモアを交えて質問に応じていた一方で、俳優の存在について「そこにいるというだけで十分」と語っていたのが印象的だった。
映画の物語は立場の違う女性三人の生き方をそれぞれに示していてとても惹きつけられたが、監督のインタビューからは現実に対して飾り立てずに映画を作っていくというプロセスも垣間見られた。そこでピアラの存在が語られていたように、映画そのものはフランスの映画の歴史の延長にある存在でもあるのかもしれないと改めて感じた。

インタビュー通訳:人見有羽子

『田園の守り人たち』
2017年/フランス・スイス/フランス語/シネスコ/135分/原題“Les Gardiennes”
監督:グザヴィエ・ボーヴォワ
原作:エルネスト・ペロション“Les Gardiennes”
プロデューサー:シルヴィー・ピアラ
撮影:キャロリーヌ・シャンプティエ
音楽:ミシェル・ルグラン
編集:マリー=ジュリー・マイユ
出演:ナタリー・バイ、ローラ・スメット、イリス・ブリー

提供:ニューセレクト/配給:アルバトロス・フィルム
7月6日(土)より、岩波ホールほかにて全国順次公開

予告編

© 2017 – Les films du Worso – Rita Productions – KNM – Pathé Production – Orange Studio – France 3 Cinéma – Versus production – RTS Radio Télévision Suisse

吉田晴妃
四国生まれ東京育ち。大学は卒業したけれど英語と映画は勉強中。映画を観ているときの、未知の場所に行ったような感じが好きです。