現在劇場公開中の『僕はイエス様が嫌い』。都内ではTOHOシネマズ日比谷のみでの公開だったが、明日6月14日からは新宿シネマカリテで公開開始、また立川シネマシティでの上映も決定するなど、その輪が徐々に広がってきている。21歳で撮った長編処女作でもある今作が、海外の映画祭で受賞したことなども話題となっている監督・奥山大史が、IndieTokyo主宰・大寺眞輔が早稲田大学で担当する授業の特別ゲストとして登壇した。長編処女作の制作に至るまでについて語った授業の模様を紹介する。

 授業の冒頭、大寺は「映画史を扱うこの授業で、先日フランスのヌーヴェル・ヴァーグを紹介しましたが、彼らが現れた時代というのは、映画は若い人が撮るものではなかった。映画会社に勤めて経験を積んだ人間が撮るものだったので、若い人が映画を作ったというだけで武器になった。今では映画は若い人は撮るもので、その若さというものは武器にはならない。当時も今も、映画を撮る若い人はたくさんいますが、良い映画を撮る人は少ない」と語りながらも、奥山監督について「先ほど会ったばかりで、彼がどんな人なのか全く知りません。彼についてはネットで少し調べて、彼の作った『僕はイエス様が嫌い』を観ただけです。とても面白い映画で、それがたまたま若い人だった。彼が面白い映画を撮る若い人だということだけは知っています」と紹介した。

・セカンドスクールに通うまで

 奥山監督は大学に通う傍らで、映画美学校に通っていたという。

「大学2年生の頃から通い始めました。映画について学びたいと思っていて、もちろん歴史などを学ぶのも大切ですが、作りたいという気持ちを抱いていて、それには近づけている気がしなかった。作る現場に行きたいと思った時に、通いやすかったということもあり美学校に通い始めました」。

 大寺は、映画を作りたいと思っているものの経験のない人が、その為の技術を習う場所、所謂”セカンドスクール”として映画美学校を紹介した。映画を作りたいと思ったきっかけを大寺に尋ねられた奥山監督は演劇の存在を挙げている。

「昔は演劇がすごく好きで、中学生のころは大人計画とかにはまっていました。演劇を始めたのですが、制約が多いことに気がついて――例えばお金とか。あとで映画もお金が回ってないことに気づくんですが、それから映像の面白さに気がついて、映像を作り始めたのが高校生の終わりくらいでした。その頃撮った作品が、京都国際映画祭で小さい賞を頂いて、その副賞が、決められた地域で短篇映画を撮れるというもので、『白鳥は笑う』という作品を撮りました。満足していない部分はあるものの、最初に短編映画を撮ったという意味で、勉強になりました。その後はしばらく撮影をしていました」。

 大寺曰く、奥山監督のこの経験には、映画を作りたい人にとってヒントになる点があるという。地方の映画祭の存在で、学びたい人が東京に集中している中、地方での映画祭なら競い合うライバルは少ない。その上で、賞を獲れば助成金が出るというメリットがある。(最近ではその助成金も多くの人が狙うようになったものの)どこかお金を出してくれるところを探すことが一つの手段だという。

・長編処女作というチャンス

 『僕はイエス様が嫌い』は、奥山監督の長編第一作だが、大寺は若手の映画監督にとってのその存在の重要さも語っている。映画祭のコンペティションで、新人監督賞の部門で作品を応募できるのはおおよそ長編一、二作までで、それは若い映画監督にとってはかなり大きなチャンスである。長編処女作として撮った作品によって、可能性が左右されるということを意味している。

 日本では若手の映画監督への助成金やサポートが少ないが、海外では長編二作目までは助成金が出ることも多い。そういった理由で海外では長編を撮る、ということに対して非常に慎重だという。大寺は学生に対して、文化・芸術の世界にも企業への就職活動に通じるようなルールやしきたりがあり、それに則らなければなかなか芽が出ない、と語ったが、奥山監督も同様の意識を抱いているという。

「映画美学校には深田晃司監督も講師としていらしたのですが、僕も海外映画祭に行きたいです、と言ってみたら、「それならなるべく映画を撮らないことだよ」と冗談交じりに仰っていて。当時は、何を言ってるんだ、と思いましたが、今考えると良くわかります。例えば学生仲間のサークルで撮った長編映画も、海外映画祭では処女長編としてカウントされてしまうので、そういう意味では長編映画は貴重なチャンスです」。

・撮影監督として

「カメラが好きだったということもあって、美学校の頃は撮影をしていました。フィルムカメラで写真を撮るのが好きで、その延長線上というか、フィルムで映像を撮ってみたいとも考えていましたが、今、映画を一本撮ってみて思うのは、デジタルでも頑張ればフィルムルックに近づくことはできるし、デジタル撮影の方がメリットは何倍もあるということです。デジタルにはデジタルの良さがある。『僕はイエス様が嫌い』はデジタル撮影ですが、レンズやグレーディングを工夫することでフィルムの質感に近づけました」。

・映画監督という存在

「そこからGUのCM(『ROMANTIC TOUCH COLLECTION』2017年)などの撮影もしたのですが、ある時やっぱり監督がやりたいと思い始めて。撮影は非常に大事な仕事ですが、自分で決められる幅が少ない。何を撮るのか、どう撮るのかということを決めるのは監督です。何をどう撮るのかを自分で決めたいと思うようになりました」。

 大寺は、大学で授業を教えている中で、映画における「作家」とは、監督ではなく脚本家であると思っている学生が多いことを指摘した。映画雑誌カイエ・デュ・シネマの唱えた作家主義においては、映画における作家は脚本家ではなく監督を指しているが、その理由について奥山監督に尋ねている。

「僕は今まで脚本家と組んだことがないのですが、最終的に映画が出来上がったときに、色んな印象が残ると思いますが、僕が最初に映画を作り始めた頃想像していたよりも、その印象の監督が占めている部分は多いような気がします。監督が最終的にコントロールして、そのコントロールで出来上がることが多い」。

 大寺によると、多くの映画の観客はそういった監督がコントロールしているものよりも、ストーリーを観ているという。しかし映画は物語だけをみるものではない。映画は画と音でできているが、それによってどのように物語を伝えるのか、一つの世界の中に観客を巻き込んでいくのかが監督の仕事であると語ったが、奧山監督は「まさしくそういった仕事がしたくて、監督をやりたいと思いました」と頷いた。

・短編映画『Tokyo 2001/10/21 22:32~22:41』と大竹しのぶの出演

 2018年に奥山監督は、短編映画『Tokyo 2001/10/21 22:32~22:41』を監督した。フィルムカメラが好きだったこともあり、その撮った写真から映像を構成できるのではないか、と「動きが少ない映画というよりは、すごく動く写真」を目指した作品だという。

 この作品は大竹しのぶが主演しているが、その経緯について奥山監督次のように語った。

「大人計画の『ふくすけ』が好きだったこともあって、大竹しのぶさんにいつか出演してもらいたいとはずっと思っていました。

 この短編のきっかけは、NHKで以前『岩井俊二のMOVIEラボ』(2015年、2016年放送)という番組が放送されていたのですが、映像作家を志望する若者が作品を持ち寄って、岩井俊二監督に講評してもらうという内容でした。それで撮った1分間の映像があって、せっかくならそれはちゃんと短編映画として残しておこうと思ったときに、作品の形できちんと残すなら最も理想的な女優さんに出てもらいたい、と。

 最初に、ある意味直接コンタクトをとったというか、長い手紙を書いて事務所のポストに投函したんです。それが大学2年生の終わりごろでした。でも返事が来なくって、―普通は来ないと思いますが―それで事務所に電話を掛けたんですが、届いていない、というので、じゃあ直接届けにいきます、ということになって。そこで関係の方に手紙や作品を託すことができて、ご本人に渡しておきます、ということでした」。

「実際の撮影は半日でした。顔の表情だけ大竹さんに演じてもらい、身体は別の人にやってもらっています。技術的には、写ルンですで撮影したスチール写真を繋げて映像にしていますが、身体は色んなパターンが必要でした。参考として大竹さんに動きありで演じて頂いて、あとで写真と動きを合わせるといった感じでした。どうしても”動く写真”というのがやりたかったんです。大竹さんの撮影が半日、作品全体の撮影が3日くらいで、アニメーション制作には1年半くらいかかりました。

 大竹しのぶさんの出演については、切り絵アニメによって否が応でも自主映画の感じが出てしまうのですが、それとは対極の人がいると良いと思っていました。

 出演して頂けたことに関しては、ある意味若い特権というか、映画に限らず、若いから無知なふりをして大御所の方にお願いをしてみるというのは可能性としてありだと思います。『僕はイエス様が嫌い』のチラシやパンフレットも、ずっと憧れていた大島依提亜さんという方が担当してくださっています。普通はこうした自主映画のデザインなどはやらない方なのですが。どうしてもやって頂きたいんです、と話をさせてもらえたら、意外と引き受けていただけることがあります」。

 奥山監督の話に対して、大寺は、業界で活躍している人ほど、これからの若手に期待したいと考えている可能性もあると語った。若さの特権というのは、それに甘えることができる代わりにそのチャンスを活かさなくてはならない責任でもあり、勿論誰しもが成功するわけではないが、その努力を惜しんではいけないものだという。

・学生からの質疑応答

最後に、学生から奥山監督への質疑応答の時間が設けられた。

――現在大学に通っていて、それとは別のセカンドスクールに行くことを考えています。時期について迷っていて、何か実績を作ってから行った方が後に繋がるのでしょうか。

奥山監督:僕自身は、人脈・実績などはあまり考えずに通い始めました。大学の4年間というのはとても短いので、実績とかを考えるよりも早くから始めた方が良いのではないかと思います。不思議なことに、この映画を作った今よりも、大学に入ったばかりの頃の方が、自信があったような気がします。僕は絶対に良い映画が撮れるだろう、と勝手に思い込んでいました。ぜひ、自信を持って取り組み続けると良いと思います。

――食事の場面など、作品の中の何気ない会話シーンが、ユーモアがあって面白かったのですが、脚本作りでのアイデアを教えてください。

奥山監督:食卓の会話シーンはほとんど脚本を書いていません。「みんなで仲良くカレーを食べる」とか、そういう書き方です。そこからどのように作っていったかというと、なんとなくは自分のなかでも想像しているんですが、即興劇を役者の方たちに繰り返しやってもらっています。「ユラ君は、これから流星群を見に行くのでとてもワクワクしています」とだけ伝えて、それを元にお芝居してみてください、というような感じです。『僕はイエス様が嫌い』では、有名な劇団から来た役者さんや、すごく経験のある役者さんなど、優秀な方が集まっていたので、上手く回してくれて良いセリフがどんどん出てくる。それをメモに箇条書きにして、本番の前に役者さんに、「さっき言っていたこのセリフをお願いします」というように伝えていく。食卓を囲むシーンはほとんどそのやり方ですし、ユラとカズマがサッカーをする場面もそのように撮りました。そういった意味でキャスティングは、本当に大事だと思います。

大寺:コマーシャル業界から映画を撮り始めた市川準監督(1948年―2008年)にも通じるやり方だと思います。撮影で、タレントさんに一晩中居てもらって、延々と喋らせて、良い部分だけ編集して使った。でもそういうやり方は普通の映画の現場では難しいですよね。タレントには分単位でギャラが発生していくから。『僕はイエス様が嫌い』も、撮影日数はそんなにかかっていないと思いますが、その中には長い時間をかけないと作れないような濃密さがある。その方法は商業的な撮影とは違っていると思いますが、どのように考えていますか。

奥山監督:自分でやらせてもらっているのでできている部分はあると思います。撮影が別の人だったら、またその人に指示を出さなくてはいけない。そういったことを基本全部自分でやっていたので、プレッシャーはあるもののある意味自由で、もし今後、商業的な現場で撮るチャンスがあったときに、どれくらい今回みたいなやり方ができるんだろう、という気はします。

 あとはやっぱり、デジタル撮影の存在が大きいような気がします。デジタルではカメラをずっと回しっぱなしだったり、リハーサルと言いながらずっと撮って、本番と編集することもある。そこはデジタル撮影のメリットだと思います。

 最後に劇中のあるシーンについて尋ねられた奥山は、その見解を語るとともに「これはどういう場面なのかを説明するような、説明的な映画が好きではない。色んな考え方、捉え方があるように見せたい」とも述べている。

 それを受けた大寺は、映画には「説明する」映画と「描写する」映画があると語った。

 多くの人にヒットすることが多いのは「説明する」映画で、映画が好きな人がじっくり楽しむことが多いのが「描写する」映画だという。「描写」の映画は、私たちが生きているのと同じように、ある一つの世界について見せてくれるものであり、そこで何が起きているのかを知ることにはある種の自由がある。その自由とは、観客が自分で探っていく努力のことでもある。理解するのに観客の努力を必要とするが、それには必ず報いてくれるのが「描写」の映画である。観客の努力によって、色々な世界が広がっていく。

 『僕はイエス様が嫌い』も、シンプルではありながら明らかに説明の映画ではなく「描写」の映画で、その面白さは観客たちに、物語ではなくある一つの世界のもつ美しさ、楽しさ、切なさを描いていることにある、と語り授業を締めくくった。

 『僕はイエス様が嫌い』は、大学の卒業制作として21歳で撮った映画が、海外の国際映画祭で最優秀新人監督賞を史上最年少で受賞した、など監督の若さが話題にされることも多いように思う。授業では、今現在は映画の作り手の若さが武器になる時代ではないとも語られていたが、一方で奥山監督は若手だからこその特権についても触れている。制作する過程では若いからこその可能性が武器にもなるが、出来上がった作品に対しては若いからと色眼鏡では見てもらえないということなのかもしれない。ただ、授業中に奥山監督が語った映画作りのプロセスや、また作品の解釈への見解はとても興味深く、確かに作品そのものについて語ることには作り手の年齢は関係ないということ、その上で『僕はイエス様が嫌い』はそういった背景の話題を抜きにしても魅力的な、優れた映画であると改めて感じた。

『僕はイエス様が嫌い』

監督・撮影・脚本・編集:奥山大史

出演:佐藤結良、大熊理樹、チャド・マレーン、佐伯日菜子ほか 

制作:閉会宣言

宣伝:プレイタイム

配給:ショウゲート

公式ウェブサイト:https://jesus-movie.com/

予告編:https://www.youtube.com/watch?v=bRsW-2sSePU

 

吉田晴妃

四国生まれ東京育ち。大学は卒業したけれど英語と映画は勉強中。映画を観ているときの、未知の場所に行ったような感じが好きです。