大阪アジアン映画祭2018日記 3月15日 晴れ 

『メイド・イン・ホンコン/香港製造』(1997)  4Kレストア・デジタルリマスター版(2018)

 

https://youtu.be/N2fVtLz0uLo 

 

監督フルーツ・チャン 製作ドリス・ヤン 製作総指揮アンディ・ラウ 脚本フルーツ・チャン 撮影オー・シンプイ

 

キャスト

サム・リー      チャウ

ネイキー・イム    ペン

ウェンダース・リー  ロン

エイミー・タム    サン

若者であるということは、半透明であるということではないだろうか。青年は、周縁に立って、これから自分が何を負って生きていこうか、悩んでいる。社会の中に自分の居場所を求めるけれど、なかなか見つからない、焦り。自分は本当に生まれてきてよかったのか?自分はこの世界に必要なのか?自分は本当に今、ここに存在しているのだろうか?恋人の瞳に映る自分も、友達と撮った自撮り写真に映る自分も、なんだか本当の自分に思えない。じっと見ていると頭がぼおっとしてきて、空気に溶け出して、透明になって消えていくよう。今の自分には何の生産性も無いと思う。いてもいなくてもいい存在。バイトも少しはするけれど、やっぱり親が働いて稼いだお金で大学に通い、ごはんを食べたりお風呂に入ったりしている。ありがたいことだが、自分の足で立っている感じはしなくて、どこにいっても宙ぶらりん。だから、焦る。この『メイド・イン・ホンコン/香港製造』に登場する若者たちもまた、半透明であり、生きる場所を探し続けている。しかし、1997年の香港は彼らを優しく包み込み育む子宮のような場所ではないようだ。そこはむしろ閉じられたジャングル。エネルギーに満ち、ひりつくような熱い空気がスクリーンのこちら側にまで届くよう。若者たちの体からも汗が吹き出す。そこは混沌であり、弱肉強食の世界。「どう生きていこうかなぁ・・・」とか「自分って一体何だろう・・・」なんてのんびり悩んではいられない。巨大なエネルギーの流れに飲み込まれて、足をもつれさせながら走り始める。走りながら、考える。のろいやつは置いていかれ、忘れ去られるのだ。

中学を中退したチャウは、よく富裕層の学生たちに虐められる知的障がい者の弟分、ロンを連れて今日も借金を取り立てに出かける。借金を取りに行った公営団地で、夫に逃げられたらしい母親に返済を迫るが、その娘を見たロンが鼻血を出してしまい、やむなく退散。この娘の名前は、ペン。長い手足とベリーショートの黒髪が、色っぽい。香港や台湾の映画を見ていて思うのは、女性がみんなすらっとしていて、気が強いのにどこか脆い印象の美人が多いこと。彼女たちはとても素敵だ・・・。そして、この後ロンが飛び降り自殺した女子学生、サンの血が染みた二通の遺書を偶然拾ったことで、物語が動き始める。この映画は若者の青春映画だが、かなり序盤の方から最後まで死の匂いが充満している。若者は死を見つめている。恐れながらも、どこかでそれに焦がれている。あえて自分を危険にさらし、死に近づくことでむしろ自分が生きていることを実感する。若者がピアスを開け、タトゥーを入れるのは死に憧れているからに他ならない、と誰かが書いていた。生の重みが感じられず、自分が生きているのか死んでいるのかわからないから、体に穴を開け、傷をつけることでその重みを手に入れようとするというのだ。それは死の重みである。だから、この映画に出てくる若者たちがみんな死の匂いを漂わせているのはとてもリアルに感じられる。それはあるいは、返還を間近にひかえ混乱した香港という街自体が放つ匂いだったのかもしれない。

 

ナショナリズムの究極的な目標であったはずの、植民地支配からの離脱=中国への復帰という歴史的瞬間を前にして、当の香港市民の思いは必ずしも一様でなく、期待と不安の入り交じった混迷を呈している。そして、その不安とは、主に「一国二制度」という実験に端を発している。

「一国二制度」とは、中国への返還以降香港を「特別行政区」とし、当地においては「社会主義の制度と政策を実施せず、従来の資本主義制度と生活様式を保持し、50年間変えない」とするもので、最も肝要と思われる点は、「本法の解釈権は(制定者たる)全国人民代表大会常務委員会に属する」(第8章第158条)とする規定の存在であり、これが基本法そのものの性格を決定しているということである。「言論・報道・出版の自由、結社・集会・行進・デモの自由、労働組合を組織しこれに参加し、ストライキを行う権利と自由を享有する」(第3章第27条)としながら、同時に「反逆・国家分裂・反乱扇動・中央人民政府転覆・国家機密窃盗のいかなる行為をも禁止」(第2条第23条)していることには注目するべきである。「特別行政区住民」は「結局、香港の真の統治者は誰なのか」という問題を抱えることとなった。1984年の全面返還決定を契機とする香港脱出の激増は、そうした不安の存在を如実に物語る。1987年、それまでは2万人前後であったものが一挙に3万人となり、さらに1990年には、「天安門事件」(1989年6月)の影響ゆえに6万人台にまで達している。

(http://home.hiroshima-u.ac.jp/forum/28-4/hongkong.htmlより)

 

2014年9月、2017年に実施される行政長官(香港のトップ)の選挙に関して、中国政府が自由な立候補を阻む選挙制度を決定したため、9月25日夜、民主派の学生らが中環(セントラル)地区の行政府庁舎前に結集した。3日後、警察の催涙スプレーに、民主派のデモ隊が雨傘を開いて対抗したことから、「雨傘革命」と呼ばれることになった。

これまで行政長官の選挙は定数1200人の選挙委員による投票で行われ、一般市民の直接選挙権はなかった。選挙委員は各種議会、産業界、社会団体などの代表者から成るが、親中派が大半を占めていた。

14年8月、中国政府はこれを不服とする香港住民の意向をくみ、18歳以上の住民に行政長官選挙の投票権を与える新制度案を示した。しかし、立候補者は新設される「指名委員会」が選定する仕組みで、事実上、中国共産党の意向に沿わない民主派の出馬は閉ざされることになった。完全な自由選挙を求める民主派の占拠は香港島の中環(セントラル)地区から始まり、当初は12年に愛国教育の導入を阻止した学生グループ「学民思潮」らが主導的な役割を担っていた。やがて主婦や老人、サラリーマンなど一般市民も加わり、大規模デモとなって九龍半島にも拡大していったが、数週間がたつと運動は膠着、その後大きな成果は得られないまま、収束に向かった。その原因はいくつか挙げられるが、映画との関わりでいえば、学生を中心とする若者と中年以上の大人たちとの間に溝があったことに注目したい。運動発生から3か月後の2014年11月に香港理工大が発表した世論調査では、回答者の73%が市内占拠に反対。一方、18~29歳の若者に限定すれば、58・7%が賛成(ただし、60歳以上の98・1%は反対)という、極端な結果が出た。

「上の世代の香港人は多くが中国大陸から来た人たちで、ただ安定した暮らしだけを望んでいる。僕たち若者とは異なる」

10月29日、学生リーダーの一人、ジョシュア・ウォンは「ニューヨーク・タイムズ」への寄稿でこう主張した。言葉は力強いが、一方で「大人」の幅広い支持を得ることは、かなり難しいと思われる主張だ。

香港政府の親中政策によって、中国からの移民と投資マネーが大量に流入した結果、香港では不動産価格の高騰が深刻化している。また、中国人のマナーの悪さも対中感情の悪化の理由だが、これは人口700万人の香港に年間4000万人もの中国人が観光やビジネス目的でやって来るためである。

だが、実のところ、不動産の暴騰も観光客の増加も、対中ビジネスや投資に携わる「持てる者」の年配層には悪い話ではない。現地当局の親中政策は、もちろん北京の意向を汲んだうえでの政策でもあったのだが、現地の「大人の社会」のためになされてきた側面もかなり大きい。対して、政策のシワ寄せは「持たざる者」である若者たちに集中した。たとえ医師や弁護士のようなエリート層の人間でも家賃が高くて賃貸住宅にすらも住めず、結婚も容易ではない……といった事態が数多く見られていたのだ。若者の貧困化は世界共通の問題だ。だが、香港の場合は「中国」という明確な原因が存在することで、民主化要求を契機に反中感情と社会への不満までもが爆発した。雨傘革命が香港で若者の心“だけ”をつかみ、組織化されない彼らを街に走らせた理由はここにあった。香港の若者たちの誤算は、「民主化」という普遍的な道徳を掲げたことで、反中感情や格差問題についても、利害が一致しない他者の理解を得られると思い込んだことである。これは「持てる者」である政財界の人々のみならず、街で普通の暮らしを営んでいる市民をも「意識が低い連中」だと軽視する(傾向を生み、運動への支持離れを加速させた。「汚い大人」を嫌う若者らしい潔癖さが、皮肉な結果を生んだということだ。

(https://courrier.jp/news/archives/868/より)

 

3月15日、梅田シネ・リーブルでの上映後、登壇し質疑応答を行うフルーツ・チャン監督

映画『メイド・イン・ホンコン/香港製造』デジタル・リマスター版は、2018年3月10日(土)よりYEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国で順次公開される。

 

『朴烈(パク・ヨル) 植民地からのアナキスト』

私は犬コロでございます

空を見てほえる

月を見てほえる

しがない私は犬コロでございます

位の高い両班の股から

熱いものがこぼれ落ちて私の体を濡らせば

私は彼の足に 勢いよく熱い小便を垂れる

私は犬コロでございます

 

朝鮮人アナキスト、朴烈(パク・ヨル)をご存知だろうか?上の詩は、天皇をはじめとするあらゆる権力への服従を断固として拒んだ彼が、自身を空や月に向かってほえる犬にたとえたものである。「空」、「月」は大日本帝国の最高権力者であった天皇をさすという。この詩に感銘を受けたのが、日本人女性アナキスト、金子文子。文子は両親の愛に恵まれず、経済状況も非常にきびしい中で子ども時代をすごし、引き取られた先の朝鮮では祖母による虐待に苦しんだ。そのような暮らしの中で、3.1独立運動に遭遇し、朝鮮独立運動に深く共鳴する。朝鮮人の立場をみずからの境遇と重ね、深い共感と愛情を感じていたのだった。朴烈21歳、文子20歳。朴烈の詩に感銘を受けた文子は彼のもとを訪ね、互いを同志と認めあった二人は同棲を始める。戦前の日本において、韓国併合後の日本政府に不満を持つ内地の朝鮮出身者や、満洲の朝鮮人反体制派、朝鮮独立運動家、犯罪者をさした不逞鮮人という言葉をもじって、「不逞社」を結成し、『太い(不逞)鮮人』などの雑誌を発刊していた。自他ともに認めるアナキストの二人の破天荒で幸せな生活は、やはり長くは続かなかった。1923年の関東大震災の2日後、二人は治安維持法に基づく検束を口実に逮捕されてしまう。朝鮮独立運動家と思われていた朴烈を取り締まることが目的であったが政府転覆を計画していたという明確な証拠はなく、逮捕理由は不十分であった。また、映画の中では当時の内務大臣、水野廉太郎が関東大震災後に起きた朝鮮人に関するデマに基づく虐殺を正当化、あるいは隠蔽するために朴烈らを逮捕したという経緯が描かれている。しかし予審などで朴烈自らが天皇を暗殺しようとしていたと述べたことで事態は一転、朴烈と文子は大逆罪で告発されてしまう。これは一説には、朴烈自身が義兵的な生き方への憧れから、民族の英雄として死ぬために積極的に罪を認めて有罪になろうとしたとも言われる。事実、1926年3月、朴烈と文子ともに死刑判決が下された後、4月になって天皇の慈悲による恩赦によって無期懲役に減刑されると、二人は激怒した。「人の命を思い通りに生かしたり殺したりできると思うな。」という必死の叫びを聞いた気がして、このシーンは非常に印象的だった。アナキズムとは、「自分の自由意志以外の何にも屈しない」ということなのかなぁなどと考えていた。その後、朴烈は減刑拒否を宣言したが、無視される。なお、二人は獄中で結婚する意向だったが、この三ヶ月後に文子は自殺している。

文子役を熱演したチェ・ヒソは2017年10月、ソウル・世宗(セジョン)文化会館大劇場にて開かれた「第54回大鐘賞映画祭」で、新人女優賞と女優主演賞の2冠を達成した。チェ・ヒソはイ・ジュンイク監督の前作『空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜』(2016)  http://eiga.com/movie/87095/video/ でも、韓国の国民的詩人である尹東柱と彼の詩を愛した日本人女性、深田來未を演じている。幼少期を大阪で過ごし、日本語が堪能な彼女ならではの適役といえよう。本作には日本人である文子が朝鮮語を話すシーンも多いのだが、そのときに絶妙な日本語訛りまで表現していて、驚いた。そして朴烈役のイ・ジェフンは今回の映画のために人生初の禁食をしたり、無精ひげを生やしたりと、その風貌、人間性ともに朴烈は彼にとってこれまで演じたことのないタイプの人物だったのではないだろうか。韓国映画にうとい私は、映画を見終わってすぐ彼をグーグルで検索して、びっくりしました(笑)。ワイルド系かと思いきや、普段はとっても爽やか~な感じの俳優さんなんですね。(画像参照)

本作は2017年6月28日韓国で劇場公開され、1週間足らずで観客動員数100万人を記録した。

https://www.youtube.com/watch?v=JvDcXphHqp 

 

インドネシア・シンポジウム

インドネシアにおける華人映画の系譜をたどる。

 

1930~50年代のオランダ植民地時代末期から独立までの期間を扱った作品として有名なのが、『茶房館』(2002)。オランダは分割統治を採用し、華人をインドネシア土着民より優位に立たせることで分断を生じさせ、彼らが団結して植民地支配に抵抗することを防いだ。この政策が民族間に対立をもたらした。20世紀初期、華人はインドネシア独立運動に同情を寄せたが、インドネシア土着民は華人を受け入れようとはしなかった。そのため、インドネシアの文化や国家に対する華人のアイデンティティーは、一貫してジレンマに陥っている。『茶房館』では、華人の実業家とインドネシア人の女中の数奇な人生が描かれている。「華人もインドネシア人である」というメッセージを伝えた。

http://www.imdb.com/title/tt0312101/ 

 

『GIE』(2005)1965年9月30日事件は、独立後のインドネシアのスカルノ体制からスハルト体制への転換をもたらす大きな事件となった。インドネシアのナサコム体制は崩壊し、共産党は非合法とされ壊滅、軍を背景とした独裁政治が出現した。独立実現と社会改革を進めた45年世代にかわり、経済の発展と社会の安定を優先する66年世代が台頭した。『GIE』は華人系でありながら、政治的に腐敗したインドネシア社会の変革をめざし、学生運動に身を賭した実在の青年、Sue Hok Gieの生きざまを描いた映画である。http://www.imdb.com/title/tt0459327/ 

 

1998年の民主化後にマイノリティとして家系を継承する困難を描いた『空を飛びたい盲目のブタ』(2008)。華人の血筋を絶やさないためにはどうしても男子を生み育てなければならないという重圧が、男女の間に深い溝をつくってしまう。家系を継ぐのは男であるため、華人の女に生まれた時点で、求められるのは華人の男子を生むことのみ。女性の生き方はないがしろにされてしまうという問題がある。http://2012.tiff-jp.net/news/ja/?p=14146

 

そして、今回の映画祭で海外初上映された『牌九』(2018)。裏社会につながりのある華人の一家の結婚式を舞台にしたサスペンス映画である。これまでのインドネシアにおける華人映画には、マイノリティの側からの政治的メッセージを含んだものが多く、本作のようなサスペンス映画は珍しい。インドネシア華人映画の新たな可能性を示している。https://www.youtube.com/watch?v=kGPukxqoXtE&feature=youtu.be 

 

 

 

 

澤島さくら

京都の田舎で生まれ育ち、東京外大でヒンディー語や政治などを学んでいます。なぜヒンディー語にしたのか、日々自分に問い続けています。あらゆる猫と、スパイスの効いたチャイ、旅行、Youtubeなどが好きです。他にもいろいろ好きなものあります。