レア・ミシウス『アヴァ』(Ava, 2017)——美しき「移行」の物語

 

 この映画の主人公は、13歳の少女でなくてはならなかった。つまり、彼女が思春期——心身ともに変化を遂げる時期——にあるという事実がこの物語の軸となっており、それゆえ「移行」が一つのキーワードとして存在するのである。

 

 アヴァ(ノエ・アヴィタ)はバカンス中に訪れた病院で網膜色素変性症との診断を受ける。徐々に視界が狭くなり、やがて夜盲となるおそれのある病気である。こうした身体上の変化は、世界との繋がりを持とうとしない、控えめで自分に自信のないアヴァの姿勢を変える契機となる。見えなくなるまでに見ておかなければならない、という意識が彼女の中に芽生えるのだ。彼女にとって、「見ること」とは「経験すること」であった。だからこそその意識は性的な関心および欲望となってあらわれる。

 外に目を向けるようになった彼女が出会ったのはジュアン(ジュアン・カノ)という青年だった。それまで衣服で覆われていた彼女の身体が、彼を前にして初めて一糸纏わぬ姿となったとき、それはアヴァが自分をさらけ出し同時に受け入れた瞬間であるともいえよう。彼女の「見る」そして「見せる」という経験を通して描かれていることが、アヴァにみられる少女から女性への「移行」であることは言うまでもない。

 

 また、こうした「移行」を可能にする存在として大きな役割を果たしているのが「黒い犬」であるということを忘れてはならない。映画の冒頭、画面を上下左右に横切るこの犬は、そのときからある種の異質さを放っている。それは、あまりにもカラフルな真夏の海岸を真っ黒な犬が走っているという状況だけではなく、おそらく人工的な空間として仕立て上げられている画面に、どう見ても野性的な動物がいるという光景から感じられるものである。

 「見る」という行為に注目すれば、この物語でアヴァがまず目にするのはこの犬だった。そして、彼女がまず興味を持った対象も他ならぬこの犬であり、犬を追う形でジュアンと接触することになる。つまり黒い犬は、彼女を家から出させ、ジュアンと出会わせるという物語を展開する上での大役を買ってでているということだ。アヴァが外に出るとき、そしてジュアンと会うとき、その誘因となるのはいつもこの犬なのだ。言い換えれば、黒い犬は、閉ざされた空間から開かれた空間へアヴァを誘い、彼女を理性的な状態から感情的な状態へと促すような存在なのである。

 

 アヴァの視力の低下に伴い、色彩豊かな画面は徐々に暗いトーンとなってゆく。それにもかかわらず、この作品において絶えずアヴァの力強さが感じられるのは、彼女の目に映る世界が狭まっていくのに反して彼女の知る世界が広がっているからであろう。物語の序盤、病気のことを医師から告げられ事実を受け入れたくない様子で椅子に座り目を閉ざしていた少女は、今や暗闇のなかで目を開き愛する人と歩き続けるような女性になろうとしている。

この過程が淡々と、しかし着実に、まるでアヴァの性格とリンクするかのような質感をもって描かれていたならば、それはミシウスの演出力がなせる技である。そしてラストショット、こうした「移行」にあるアヴァの見せる笑顔が、確かにストップモーションをかけて時間を止めてしまいたいほどに儚く美しいものであったことは、もはや言うまでもないだろう。

 

 

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原田麻衣

WorldNews部門。

京都大学大学院 人間・環境学研究科 修士課程在籍。研究対象はフランソワ・トリュフォー。

フットワークの軽さがウリ。時間を見つけては映画館へ、美術館へ、と外に出るタイプのインドア派。